見出し画像

旅と「学び」は似ている

「アメリカ大陸を横断したことがある」と話すと驚かれる。嘘じゃないか、と聞かれるが本当なのだ。

期間にして2週間、大学卒業の年の3月だった。キャンピングカーのレンタル代だけで1人20万円近くする、壮大な旅だった。

アメリカ横断のことについてはいつかゆっくり時間を取って書きたいと思っている。今回はその旅のなかで学んだことを中心に書きたい。

計画通りにはいかない、だから面白い

結論からいうと、この旅は大いに計画が狂った。初日の予定は丸つぶれだった。途中、メンバーの一存でルートを変更した結果、車内が険悪にもなった。

正直、何度か死にかけた。たかがナッツを買っただけで1人が散々に責められる事案が発生した。一時警察のお世話にもなった。最終日まで無事に帰れるかわからなかった。

だが、こうして語れているのも、その旅がバツグンにハプニングだらけだったからだ。事件があるから面白い。そしてそこから学んでいける。どうすればこの事件は防げたのか?と考える。考えることでまた世界が広がっていく。

事件は教科書なのだ。この世は事件だらけだ。他人事が、次の日には自分事になっていることも多々ある。事件は解決せねばならない。解決のためには学ばねばならない。その時々で覚えなくてはいけないことがたくさんある。そういった事件が短期間に連発する旅ほど効率的な学びは無い。


最終日のニューヨークは土砂降り。観光どころではなかった。


逆に、順調すぎる旅はとてもつまらないとわかった。特にハプニングも起きず、延々と国道を走っているときが大変退屈だった。次の右折までウン百キロということが普通に起きるのがアメリカだ。

もはや寝るしかない。


観光地以外が面白い、それが旅だ

旅が嫌い、という人の意見に「みんなが行くような観光地に行くことが面白いとは思えない」というものがある。おそらくこの人は本当の旅をしたことはないだろう。

旅は道中が一番面白い、とよく言われる。それもそうだ。なぜなら観光地ではスポットにばかり目が行ってしまうが、道中では思いがけないことに目がいくからだ。

日本では考えられないほどデカイ車(いわゆるアメ車)がたくさんあるし、いたるところに(たとえ寂れた町でも)アート作品がある。列車の全長が長すぎる。人種も言語も、日本人に対しての対応も違う。

海外旅行に行ったひとが皆「海外は面白い」というのは、日常のささいなところが違うからこそなのだ。観光地が良いからだけではない。

~キングマンにて~


アメリカには"画一的な近代国家"というイメージもあるが(アンディ・ウォーホルの影響だろうか)、国土が広い分、個性も豊かだ。

ハリウッド・ラスベガスを通ったらしばらくはネオンサインが見えない砂漠を通るし、ぽつんとアーティスティックな町があったかと思えば、急にビルが立ち並ぶシティが出現する。

ひとつひとつの町に歴史があり、そこに学びがある。歴史を一から学ぼうとしたら大変だが、町の歴史ならWikipediaで充分だ。移動するたびに学べるのも旅の醍醐味である。

ラスベガスの次に訪れた町。ネオンひとつもない。だが、よく見るとマクドナルドやケンタッキーがある。アメリカにおける2社の影響力の高さが伺える。


幸せとは些細なことへの感謝である、と誰かが言っていた。異国に行くと、日本では、水がいつでも飲めること、どこでも日本食が食べられること、冷暖房が整備されていること、といった些細なことを学べる。これも旅の魅力だ。

画面を眺めるだけが学びか?

ウイルスが蔓延するなか、Webですべてが完結するようになった。それは学びもそうだ。授業は基本オンラインだった、と去年度まで大学院に通っていた友人が話してくれた。高度な知識を要する大学院生ですら、図書館に行かずとも、ネットを介すれば学びが可能なのだ。

「学校なんか行かなくたって、ネットに答えが落っこちとるやないか!」と言っていた人も目にした。確かにそうだ。今の世の中はネットがすべてだ。あのANAですら、バーチャル旅行の提供を企画している。

ANA、バーチャル旅行プラットフォーム開発へ


それでも私は足を使った旅をオススメしたい。なぜか、それは行かなければ分からない驚きや発見をしてほしいからだ。そして、その体験を聞いてみたい、記事を読んでみたいのだ。あなたが旅で学んだ知識を、哲学を。

旅は素晴らしい。
誰がなんと言おうと、素晴らしい。

旅に魅了された中毒者の戯れ言だ。


この記事が参加している募集

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?