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シャネルが生涯愛したただ1人の男性 〜ガブリエル・ココ・シャネル〜

8月19日は、20世紀最大の女性デザイナー、ガブリエル・ココ・シャネルが生まれた日。
(1883年8月19日-1971年1月10日)

皆様、いつもありがとうございます✨
グリーンビューティ®専門家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。
該当する偉人がいない場合はお休みです。

長文につき、時間があるとき、興味がある方をご覧くださいね。

楽しんでいただけたら、嬉しいです。

行商人アルベール・シャネルと
洗濯婦ウジェニー・ジャンヌ・ドゥヴォルの間に生まれる。

生まれた場所は、
フランスのメーヌ=エ=ロワール県ソーミュールの、
修道女会が運営する慈善病院(救貧院)。

18歳までオーバジーヌの孤児院、
それ以降はムーランのカトリック女子寄宿舎で育ったシャネル。

さまざまな愛人、恋人に援助してもらいながら、今日のCHANELの基礎を作った。 

でも彼女が愛したのはただ1人。イギリスの実業家だった。

その名は、アーサー・エドワード・"ボーイ"・カペル。

ボーイは、シャネルの最愛の恋人で、
2人は資産家エティエンヌ・バルサンを通じて知り合った。

エティエンヌ・バルサンは、シャネルの最初の恋人であり、
支援者であった。

ボーイはイギリス人で、裕福な実業家。
ポロの選手でもあった。

シャネルの可能性と実力を認めて様々な援助を行った。

シャネルをパリに住まわせ、
1910年にはパリのカンボン通りにシャネルの一号店である帽子専門店、
1913年には2号店を高級リゾート地、ドーヴィルにオープンさせ、惜しみのない援助と協力をした。

ボーイは出資をするだけではなく、
修道院育ちの彼女のために、
好きな詩や哲学を自らノートに書いて贈り、
シャネルに多大な影響を与えた。

それは、シャネルにとって教養と文化という
最大の贈り物となる。

また、白いカメリア〔椿)の花を愛し、
シャネルに贈った。

この花はシャネルにとっても大切なものになり、
やがてはブランド全体のモチーフとしても取り入れられていく。

ボーイの愛情と献身、何より最大の理解はシャネルを育て、
世界に向けて発信していくための土壌を整えた。

しかし、ボーイはシャネルではないイギリス貴族の娘と結婚。
シャネルは、非常な衝撃を受けるも、それを受け入れ、
2人の関係は続いた。

1919年12月12日、
ボーイは自動車事故によって突然この世を去った。

クリスマス休暇をココ・シャネルと過ごすために移動していた最中の事故だった。

後に「彼こそ私が愛したただ一人の男」と語り、
その死について「彼の死はわたしにとって恐るべき打撃だった。
わたしはカペルを失うことですべてを失った。」と述懐している。

後年、シャネルの後を引き継いだカール・ラガーフェルドは
シャネルの理解者であったボーイにちなんで"ボーイシャネル"というバッグをつくっている。

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