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令嬢馬賊(小説)

 盲目の巫女が見たくて仕方がない窓のむこうには、大洋の蒼白いそらを頂く崖海がひろがっている。彼女はその海に、勢いよく飛び込んで身をひたし、昨夜のインチキ交霊術で喝采をあびた体から、男装の衣裳を剥ぎ取り、彼女を待ち構えてくれていた古代ゲルマン物語詩の紫色の太陽をはらんだ海の奥で、裸身を塗りつぶす、黄金掘りの小人たちが微弱な病原菌になって彼女にはりつき、黄金をまのあたりにして死んでいく思いを膨らませた。

 部屋のなかで、巫女は人形のガラスケースのように揺り椅子を全身に纏っていた。揺り椅子は沈鬱な錦糸の刺繍を鏤め、脚部には天使の浮き彫りが、柔和な風情を刻印していた。
男装は、眼帯顔のネルソン提督の印象を湛え、ワルキューレの父でこれも眼帯顔の神ヴォーダンの威装に覆われていた。
 
 体は、正20面体の結界図に抱擁されていた。男装の眼帯に覆われていない方の目孔からふきあがったÆtherエーテルが、 片眼鏡モノクル硝子ガラスをとおって、椅子に充満する。巫女はプラトンが「美そのもの」と定義した、正多面体の5つの図形すべてに愛されていた。彼女もまた正多面体の神になり、幻視的なガラス状になった5体を守護していた。

 

 陽が没した。オーディオ・スピーカーが部屋の4辺から、真珠の粒の小ささしかない最新技術を結晶させ、古怪に録音されたオペラのライブ演奏を大嵐ノイズで轟かせた。音楽は全3幕。『ワルキューレ』の録音に入り込んだ、清楚で情熱家なジークリンデを演じる歌手の名を唱える客席からの叫びがノイズの雲間から鮮明に響きわたると、正多面体にヒビを入れて散り散りに吹き飛ばした。音楽はおよそ3時間。音楽をかき分け、外からあけられるドアから部屋のなかに、誰かが入ってきた。
 その誰かは、まるでヨハネの黙示録の光景のように、巫女の左顔の 片眼鏡モノクルをはずし、硬く熟れた微部を撫でながら、口に含んだ虹色のガラス玉を目孔にめじこんだ。エーテルの出口を塞いだのだ。ガラス玉は、 万華鏡のような集団飛行が語り草なコドモジュウジグンアゲハの蝶の翅からほとばしる、女児たちを漆黒の巡礼へと駆り立てる狂気の鱗粉でその内部が充満し、心を悩ましく乱す碧い碧い空に、波動し、回転して、脈動し、攪流し、そして循環する。蕩けた蝶の水球の海鳴りに、時間が、船の舳先を並べ、艦隊の帆を張り、幾世紀もの甘美で悲劇的な霊たちが男や女や流刑者や預言者や、猛毒で染色した紫にうるんだ瞳のヴァイオリン美童の姿で、天鵞絨の目がうごめく孔雀尾翅をはやした双頭の鷲を狂想させるシャム双生児少女の姿で船首像となり、両性具有の歌声をかなでるセイレーンの合唱に耽溺し、海戦の火だるまになると、ボヘミアングラスに入れて船倉に積んだ香水が湧いたり燃えたりし、海面を強い薫りが幾世紀もの甘美と悲劇の綯い交ぜが海面を這い、陸や島を飲み尽くす。 

「令嬢よ」赤子の頃に 瀟洒しょうしゃな揺りかごのなかでカラスに左目をたべられ、カラスの幻影の旋回に呪縛された幼女が、『マクベス』を旅興行する劇団一座のふりをした魔宴盗賊にさらわれて防弾馬車の奥で魔界の子として育てられてたが、脱走し、女学生を騙って魔女の呪術の図形をえがいては画廊に売りつける生活の末、魔女裁判の牢獄へと放り込まれた事を官報で知ったわたしは、不毛な軍備競争につぎこまれる戦争費からの横領金をつぎこみ、釈放にこぎつけたのだ。ずっと頭上を旋回していた カラスはおとなしくなって、ヴォーダンの杖に憩うようになった。もう大丈夫だよ。わたしが一生護ってあげるから。「霊を恐れるな。心を腐らせるのは過去の時間だ」

 誰かにうながされ、衣裳をととのえる年少侍従たちが入ってきた。男装は神々の領域から人間の世界へ、没落貴族のドイツ人映画監督が撮ったナポレオン軍をうちやぶるネルソン提督の勝利の衣裳へと整えられて、膨張した。かれらは、巫女の左目が先導する、詐欺の豪華な舞台へと出発した。


 
 
 部屋に、人形の家の、揺り椅子が残された。
 正多面体は消えたのでない。いっとき去っただけだ。
 巫女の奥底から何度でも復活する。
 上流階級専用の牢獄の遺跡から掘り起こされた、その椅子は、脚部の天使の刻印から、いやらしい微笑をくすぐらせた。

・・・・・・・・あいつは嘘つき・・・・・・
右目は?・・・・・・・・・・・・眼帯のなかに隠れた、魔都を灰塵にみちびく呪言をつぶやく悪鬼童女の卵の右目は?・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・くすくすくす・・・・・・・・・







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