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13  対角の感覚   【小説】




「・・・・・」
 9月27日の土曜日、まゆみはハイアット・リージェンシー福岡に向かうタクシーの中で、3週間振りに会う涼介との二度目のデートに少し緊張していた。
 まゆみが涼介に抱いていた不安は、毎日涼介とメールで会話をしていたという現実に因ってかなり緩和されていた。更に鈴木周五郎というもう一つの現実がまゆみの不安定な気持ちの支えになっていた。
(・・・〝社長は止めてくれ〟か・・・)
 まゆみは緊張を少しでも紛らす為に、鈴木周五郎と行った食事の時の出来事を振り返っていた。
 涼介と会うタイミングを外し続けていた3週間の間、まゆみは鈴木周五郎と四度食事に行っていた。一度目は〝仕事の打ち合わせがしたいんだ〟と言われて無理矢理呼び出されていた。二度目は残業していたまゆみの仕事を手伝った後〝食事に行こう〟と誘われていた。三度目と四度目も何かに託つけてはいたが、鈴木周五郎の無骨や強引さに変わりは無かった。
(涼介ならあんな誘い方しないんだろうな・・・)
 涼介に会う前に涼介との恋愛を自己肯定しておきたかったまゆみは、ある種独特な雰囲気のある涼介の仕草に思いを馳せながら、涼介と鈴木周五郎を同じ土俵で比較していた。
 まゆみは鈴木周五郎の事を嫌いな訳では無かった。しかしまゆみの心を牛耳る独善的な思考は、涼介で間違いないとしたい為に鈴木周五郎にどんな役でも買わせる事となっていた。
(いい人なんだけどな・・・)
 まゆみは心を落ち着かせ始めていた。それは同じ土俵で涼介と鈴木周五郎を戦わせた結果からではなく、涼介を横綱に見立て、鈴木周五郎を露払いに見立てた自分に満足したからだった。
「ふーっ・・・」
 ハイアット・リージェンシー福岡の前でタクシーを降りたまゆみは一つ息を吐き、待ち合わせ場所に向かって歩き始めた。

「・・・ふーっ・・・」
 まゆみは一階にある〝ル・カフェ〟の前でも息を一つ吐いた。
(今日も待つのかなぁ・・・)
 まゆみは時間を確認した。
 腕時計は涼介が指定した場所の前で7時20分を指していた。
(10分前か・・・)
 まゆみは期待と不安で心をざわつかせていた。
「いらっしゃいませ・・・ご案内致します。禁煙席でよろしいですか?」
 店内のエントランスで立ち止まったまゆみに、黒のスーツを瀟洒に着こなした男性が優しく声を掛けた。
「・・・いえ・・・」
 まゆみは煙草を吸わなかった。
「かしこまりました」
「・・・・・」
 まゆみはその男性に会釈をし、後を追った。

「じゃぁ、それでお願いします」
 まゆみはそう言ってメニューを閉じた。
 壁際の席に案内されていたまゆみは、ホールスタッフに勧すすめられるまま聞いた事の無い様な名前のカクテルを頼んでいた。
「・・・・・」
 店内を見渡す落ち着きの無い自分に気付いたまゆみは、再び緊張し始めていた。
「・・・・・」
 まゆみは携帯電話で時間を確認した。
(やっぱり今日も待つのかなぁ・・・)
 そう思いながら、自分が居る場所の反対側に連なる窓ガラスの向こうを眺めていた。
(・・・でも・・・何だか・・・リョウらしいな)
 まゆみは視線を店内に戻し、不安を打ち消す為に意識して強くなろうとした。
 店内には夜空に鏤められた星を見に行きたくなる様な音楽が流れていた。それぞれのテーブルには〝楽しい〟という声が聞こえて来そうな男女の笑顔が溢れていた。
(雰囲気いいなぁ・・・涼介って何時もこんなお店使うのかなぁ・・・)
 まゆみは店内の落ち着いた景色を心に取り込みながら、涼介が選んだ店を好きになろうとしていた。
(ふーぅ・・・)
 まゆみは再び窓の向こうを歩く人影に涼介を探した。膝の上では携帯電話が玩ばれいた。
「お疲れ」
「!!」
 まゆみは不意に掛けられたその声に驚き、振り向いた。
「うわっ!!」
 涼介を見上げるまゆみの瞳は瞬きを失っていた。
「お待たせ」
 涼介は爽やかだった。
「えっ!?・・・居た・・・の?・・・」
「いや、来たばかりだよ」
「びっくりしちゃった・・・」
「そう?・・・いいじゃない、たまには」
 涼介は本来現れるべき筈の方向とは違う角度からまゆみに声を掛け、鳥が静かに舞い降りる様にまゆみの対面に座ろうとしていた。
「・・・いつも驚かせるのね・・・」
 まゆみは頬を朱色に染め、正面に座った涼介にそう言った。
「トイレに行ってたんだけど途中電話が入っちゃってさ、戻って来たら見覚えのある女性の後ろ姿があったからね・・・いいタイミングだったんじゃない?・・・あ、どうもありがとう・・・それじゃぁね、ビールを」
 二つ隣の席に置いたままだった煙草とメニューをスタッフが気を利かせて持って来てくれた事に気付いた涼介は、まゆみとの会話を止め、お礼を言い、メニューを広げる素振りも見せずに飲み物をそのスタッフに頼んだ。
「・・・・・」
 まゆみは予測不可能な涼介を見つめていた。

 涼介がハイアット・リージェンシー福岡の〝ル・カフェ〟を使うのは三度目だった。最初は今年の2月、保険会社に勤める25歳の女性と来ていた。二度目は6月の終わり頃、中洲のクラブに勤める23歳の気さくな博多っ子だった。そしてその二人共、出会い系サイトで知り合っていた。
「決まったかい?」
 涼介は笑顔とメニューを広げてまゆみの前に差し出し、煙草に火を点けた。
「・・・うん・・・」
「お待たせしました」
 料理を決め兼ねているまゆみの前に、スタッフが真っ赤に染まったロンググラスのカクテルを置いた。
「ご注文はお決まりですか?」
 続け様に涼介の前にビールを置いたスタッフは、二人に尋ねた。
「・・・・・」
 涼介はまゆみを待っていた。
「・・・・・」
 まゆみはメニューと向き合っていた。
「もう少し待って貰えますか?」
 涼介はまゆみの意思をスタッフに告げた。
「かしこまりました。」
「すみません・・・」
 まゆみは去り行くスタッフに会釈をした。
「・・・じゃ、乾杯しよう」
 涼介は煙草を消した。
「うん」
「それ、何て言うの?」
「・・・分かんないの」
「なるほど」
 涼介はグラストップに派手な飾りとフルーツが溢れる程盛られているカクテルの名前をまゆみが知らない事にほっとしていた。
「じゃ、乾杯」
 涼介は自分のグラスを持ち上げた。
「・・・・・」
 まゆみは持ち上げ難そうにロンググラスを触っていた。

 二人は流暢に言葉を放ち続けていた。
 涼介は饒舌の端々でまゆみを困らせたり怒らせたり、笑わせていた。
 まゆみは涼介が見せる予期しない新たな姿に楽しく裏切られ、気持ちを高揚させていた。
(・・・やっぱり違うのかな)
 涼介はそう思いながら三杯目のビールを飲み干した。
 今夜の涼介はまゆみの素性を探り出す為に自分の〝間〟を放棄していた。そして折に触れ話題の決定権や会話の結論をまゆみに譲っていた。
「涼介って呼んで良いって言ったよね?」
 まゆみは、既にそう呼び続けている事実をわざと横に置いて、改めて問い掛けた。
「いいよ」
「嬉い・・・」
「そう?」
 涼介はまゆみとの会話に、二人で何かを構築したくなる様なモチベーションが生まれて来ない事を見つめていた。
「結構飲んじゃった・・・」
 まゆみは甘えた声で涼介からの優しい言葉をねだった。
「そう?」
 涼介は溶ける様な声で小さく呟いたまゆみのその言葉に優しい笑顔を向け、まゆみが望んでいる〝涼介〟を装い切れなくなる前に店を変えるべきだと直感した。
「うん・・・」
 まゆみは充実感を表情に浮かべていた。
「出ようか」
 涼介は更に優しい笑顔をまゆみに向けながら、雰囲気を無視し、自分の捩れた思いが露呈する危険を避ける為に直感を即、行動に移した。
「・・・うん・・・」
 もう少しこの店で〝涼介〟を感じていられると思っていたまゆみは、少し意外だという表情を浮かべながらも涼介に従った。
「・・・・・」
 涼介は静かに立ち上がり、ある意味二人の付き合いに結論を出せるだろうセックスまでのプロセスを強かに考え始めていた。

「お待たせ」
 涼介は先に店を出ていたまゆみにそう声を掛け、ハイアット・リージェンシー福岡の車寄せで待機しているタクシーに迷わず向かった。
「ご馳走様でした・・・」
〝ル・カフェ〟の外から食事代の支払いを済ませ様としている涼介の姿をドアガラス越しに眺めていたまゆみは、涼介を追う様に歩きながら〝あの人と知り合いなの?〟と、さり気なく質問をぶつけるタイミングを計っていた。
 涼介は〝ル・カフェ〟を出る前に、近寄って来た若い男性スタッフと親しげに二、三言葉を交わしていた。まゆみはその姿をドアガラス越しに見ながら、涼介のプライベートを全て知りたいとする思いを強烈に掻かき立たせていた。

「シーホークまでお願いします」
 涼介はタクシーにまゆみが乗り込んだ事を確認し、ドライバーにそう告げた。
(シーホーク?・・・涼介って意外とべたかも・・・)
 最初のデートの時と同じ様にシートに浅く座り直し、足を組んだ涼介をまゆみはチラッと横目で見ながらそう考えていた。
(・・・ひょっとして態とクールにしてるのかも・・・まさかデートコース調べてて、マニュアル通りだったりして・・・)
 続け様にまゆみはそう連想し、隣に居る涼介からは窺い知れない一面を想像しながら、その一面に〝可愛い〟と妄想を付け加え、微笑みを浮かべた。
「最上階のバーに行ってみようよ」
 涼介は落ち着いた声をまゆみに向けた。
「・・・うん」
 まゆみは二人の立場が一気に入れ変わり、主導権を手元に引き寄せられるかもしれない晴れやかさに心を躍らせていた。

 タクシーはホテルオークラ福岡の前を通り過ぎ、西中島橋を渡ろうとしていた。
 涼介はドア側に凭れ、右手で頬杖を付き、雑踏を眺ながめていた。
「知り合い?」
 まゆみの心は、涼介に対する好奇心を唐突に口に出せる程余裕が生まれていた。
「誰と?」
「さっき話してた人」
「何度か行ってるからね、顔覚えててくれたんだよ」
「そうなんだ」
 まゆみは微笑んでいた。
「・・・どうしたの?」
 涼介はまゆみの微笑みの訳を聞いた。
「え?・・・いや、そうだったんだって思って」
「・・・知り合いの方が良かったの?」
「そうじゃないけど・・・」
「けど?」
「いいの、ちょっと聞きたかっただけだから・・・」
 まゆみの心の余裕は、涼介がどんな女性と何度来たのか、強烈に知りたい直情を押し殺せる程になっていた。
「そう」
「・・・・・」
 まゆみは含み笑いを窓の外に向けた。
「デートで使ったのは今日が初めてだよ」
 涼介はまゆみを見ずに、そう嘘を吐いた
「えっ?」
 まゆみは涼介の言葉に含み笑いを消され、涼介の方に振り向く事を強制された。
「そういう事が聞きたかったんじゃなかったの?」
 涼介は笑顔をまゆみに向けていた。
「そうじゃないけど・・・」
 まゆみは少し困っていた。
「シーホークのバー、行った事ある?」
 涼介は一度視線をまゆみから切り、もう一度まゆみを見つめて話題を変えた。
「・・・二、三回行ったかも・・・」
「そう・・・」
 涼介は笑顔を見せていた。
「・・・・・」
 まゆみは質問の意図を理解していた涼介に混乱していた。
(駄目だな俺は・・・)
 涼介は街並みに視線を変え、嫌味な自分の心を責めた。
 タクシーは昭和通りで渋滞に巻き込まれていた。
 歩道には昼間の様に人が溢れていた。
「ね・・・」
 涼介は徐ろに座り直し、真顔でまゆみを見た。
「・・・・・」
 まゆみは再び指摘されるかもしれない図星に構えた。
 車内にはエンジンのアイドリング音だけが響いていた。
 スモークガラスではないタクシーは、どの角度からも後部座席の様子が良く見えていた。
 まゆみは最初のデートの時と同じ様に惜しみなく唇を奪われていた。
(・・・ぬるいな・・・)
 涼介はまゆみを捩じ伏せる長いキスで自分の嫌味な部分に蓋をしている事に辟易していた。

(まだかよ・・・)
 苛立ち始めた涼介は心の中でそう呟つぶやいた。
 涼介の前にはタキシードを来たスタッフが歩いていた。
 二人は35階フロアに堂々と構えているバーラウンジ店内の心地良さそうなソファー席の群れを通り過ぎ、俯瞰すれば海に向かって矛先を突き付けている様に見えるだろうシーホークホテルの先端部分に向かって延々と歩いていた。

「どうぞこちらに」
 スタッフは涼介に向かい、丁寧にそう言った。
(辿り着いたって感じだな・・・)
 涼介はデザイン性を超越した座り難にくそうな椅子と、車のハンドルぐらいしかない、頬杖も付けそうにない丸いテーブルが置かれた場所に案内された事に白けていた。
「飲み物お決まりになりましたらお呼び下さい」
 スタッフはそう言ってメニューをテーブルの上に置いた。
「綺麗ね」
 まゆみは夜景を見ていた。
「・・・そうだね・・・」
 涼介は悶々とした気持ちを抱えたまま、無難な笑顔で夜景に目を向けた。
「涼介ってロマンチストなのね」
「・・・そう・・・かな?」
 ある種、紋切り型の言葉でまゆみからそう評された涼介は、自嘲気味の声で否定も肯定もしなかった。
「そうだよ、だってこんなとこに連れて来るんだもん・・・」
 まゆみは微笑んでいた。
(・・・ロマンチストか・・・)
 涼介は無難な笑顔を作れているかどうか気にしながら、望む望まないに関わらずシーホークの最上階から見える夜景と雰囲気をまゆみに贈ろうなどとは思っていなかった。
「・・・でも、女性にとってはそっちの方が嬉しい」
 喋らない涼介にまゆみは微笑を重ねた。
「・・・・・」
 涼介は無難な笑顔を作れているかどうか気になっていた。
 真下に見える砂浜には小さな波が寄せていた。正面には背の高いビルが何棟か並んで建っていた。
(・・・もう新鮮な驚きやときめきは無理なんだろうか・・・)
 涼介はシーホークの最上階から見える夜景を眺めながら、横浜や東品川で享受して来た珠玉の夜景を思い起こしていた。
 涼介は〝夜景〟を通して想い出と現在を戦わせるという自虐的な賭けに出ていた。そしてそんな傲慢な自分の態度を観照すれば、詰まる所、当然の様に〝現在〟が賭けに負け、全てに於いて想い出を越える事は無い〝現在〟という現実が身に染みる筈だと思っていた。そうすれば〝現在〟を象徴するまゆみへの思いに丁寧さが生まれ、まゆみの全てをもっと大切にしようとする筈だと思っていた。
「・・・・・」
 涼介は揺れ動こうとしない自分の心を客観していた。そして自分の行動が正解だったのかどうかを考えていた。
 涼介は多くを望み過ぎている事を理解していた。受け入れるべきは目の前の現実だという事も理解していた。更に無ない物強請りは現実逃避者の烙印を押される事も理解していた。
 まゆみは涼介を真似る様に夜景を見ていた。
 涼介はずっと窓越しの夜景に顔を向けていた。
「お決まりですか?」
 一人のスタッフが二人の様子を伺っていたかの様なタイミングでテーブルの傍まで来ていた。
「決まった?」
 涼介は我に返った。
「・・・・・」
 まゆみは開いていたメニューにゆっくり目を向けた。
「・・・すいません、もう少し待ってください」
 涼介にそう言われたスタッフは必要以上の笑顔を二人に見せ、席を離れた。
「決まったかい?」
 涼介の声は優しかった。
「んーと・・・じゃぁ、時が止まる様なカクテル」
 何度もメニューを捲り直していたまゆみが柔らかくそう言った。
「・・・そう・・・」
 涼介は一瞬呆気に取られ、まゆみに返すべき言葉を探せなかった。
 まゆみが放った言葉と、その言葉に添えられた笑顔に涼介はある意味完璧に心を揺さぶられ降参させられていた。そしてシーホークのバーだけでなくまゆみにも白け様としていた。
(多分あの店でもそんな事をスタッフに言ったんだろうな・・・)
 涼介は〝ル・カフェ〟でまゆみが飲んでいたカクテルを思い出していた。
 まゆみは微笑を涼介に投げ掛け続けていた。
「了解」
 涼介はまゆみのセンスを受け入れる事も、太刀打つ事も出来ず奈落の底へ落ち行く自分の心に鞭を打ち、笑顔でそう答えた。
「・・・・・」
 まゆみは嬉しそうに黙っていた。
 二人の間には重さの違う空気が流れていた。
「・・・・・」
 涼介は笑顔のまま喋らないまゆみにどうする事も出来ないまま左手を上げ、スタッフを呼んだ。

「じゃぁ彼女にはアルコールの少ない甘くて綺麗なカクテルお願いします。それとラムバックを」
 涼介は思惑通り賭けに負け〝現在〟を身に染み込ませていた。そしてまゆみの全てを大切にしようとする気力の中で〝現在〟が滲み広がり続ける事を冷静に受け止めていた。



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ぬるい恋愛✉〝情熱という、理想というmelancholy〟

美位矢 直紀



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