人という”種族”であることを忘れるなかれ
将来的には、『タイムマシンのように未来や過去を行き来する時代が来るかもしれない』そんな事を考えたことは、誰にだってあるはず。
10年後、20年後の近未来ではなく、100年後、200年後はどうなっているのかというのは、誰しも気になる事なのではないか。
はい。
ぶった切って、けーこです。こんばんは。
ここ最近難しい内容ばっか書いてるけど、大丈夫?みんな付いてこれてる?
大丈夫だよ。気にせず置いていくからね!
実は未来から来ている人がいるのではないか。
未来人は存在する。なんて言う人いるけど、実際の真意はわからないし、どっちだっていい。
何よりも重要な事は、私達は”ヒトという動物”であるということ。
”ヒトという種族”の存続において、未来や過去を知ることが必要ならば、タイムマシンが出来ているだろう。
けれど、『未来や過去を見に行く』という行為そのものが必要なければ、現代で言う”未来人”は存在しないのであろう。
結局、今想定出来ることというのは、今私達の脳内で想定出来ることでしかない。
今知りたいと思うことや願望が、100年先、200年先も同じなのかということを考えなければならない。
人間という種の存続を優先したとき、脳が進化するのか、退化するのかすらわからない。
今私達が「生きやすいように生きる」という行為は、ヒトという動物として、その種を残すために生きるということ。
そして、その”ヒトとして生きる”という事こそが、ヒトとして生まれて死ぬまで守らなければいけないことなのではないかと思う。
さて、けーこです。
難しい事色々考えたり、めっちゃ悩んだりするけど、あなた誰?って話だよね。
ヒトでしょ?
ヒトという事を忘れちゃだめだよ。
ヒトという種として、生きている以上、この種を絶やしてはいけない。
自分の子孫を残すとかっていう小さい規模の話じゃなくて、この種がこれからも存続するにはって考えてみてね。
あなたの悩みに光が届きますように。けーこでした。
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