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大切なもの、見失わないこと

都内の家賃9万円の学生マンションに住んでいたことがありました。
管理人さんは常駐してくれて、セキリュティもばっちり。おまけに新築。
ここだと決め手になった、きれいな白い床と扉。

孤独だった上京したての頃、わたしはこの部屋に守られていました。
全てが自分の持ち物で、自分だけの空間。
いつ笑っても泣いてもいいし、夜更かししても怒られない。

わたしは束の間の自由を謳歌しました。

けれど、
1年後には、この部屋を引き払いました。
新しい住まいは、大学の寮で。
2人部屋、キッチンやシャワーは共有だし、
学期ごとに引っ越しがあるから、荷物は増やせません。

明らかに自由度はさがりましたが、わたしには寮生活の方がたしかに、
幸せだったのです。もっているものは少なくなったけれど、
前よりずっと、満たされたのです。

わたしにとって、所有していることは重荷だったのだと思います。
わたしだけの部屋も、わたしだけの家具も、わたしだけの電化製品も、
わたし一人には十分すぎました。

例えば明日、部屋変わるから荷物まとめて!と言われたって、
スーツケースにさっと詰め込んで気軽にお引越しできる
その身軽さが、愛おしくて、心地良くて。

お料理の時、ちょうど牛乳が終わってしまって困っていたら
わたしのあげるよ!って言ってくれる人のいる温かさ。
お土産のお菓子はみんなで分け合える楽しみ。

所有するよりも分かち合うことの幸せを、
奪うより与える幸せを、
わたしは知ったのだと思います。

人は誰でもたくさんのものを手に入れたいと思う瞬間があります。
お金も友達も、たくさんもっている方が幸せだと錯覚してしまうこともあります。
けれどもわたしは、所有しているものの多さで
人生の価値をはかりたくないのです。
お金も友達もとっても大事だけれど、無意味に数を増やしたところで、
その人の価値には決して比例しないと思うのです。



自分が今手にしているものたちを抱きしめて、今日も大好きだよって言いたい。今よりもっと深く愛してみたい。
大切なものを大切と言える勇気をもっていることが大事じゃないかなと思うんです。