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同じ言葉を発するなら、私は誰かの救いになりたい。

"あぁ、言葉は一瞬で救いにもナイフにもなるんだな。同じ言葉を発するなら、私は誰かの救いになりたい"

そんなことをふと、会社のトイレでひっそり泣きながら思った。

今年始まってから仕事方面が特に荒れている。

詳しくはあまり話せないけど…とにかく社内の空気が、宜しくない。

だいたいこういう時の空気感は人に連鎖してさらに悪循環になる。これは短いながらの社会人経験で培った直感だ。

正直その空気感に触れて私の心はいっぱいいっぱいだった。(ただでさえこういう空気には敏感だ)

そして多分、先輩社員もいっぱいいっぱいだったのだ。

そんなときだから尚更、ふと先輩から言われた言葉がトゲみたいに心に刺さってしまった。

言うなら軽い注意、みたいなものだったけど、その時の私には冷たいナイフのようだった。

一概に先輩を悪く言うわけではない。ただほんとに先輩も色々大変なのだと思う。

でも改めて人は自分のことでいっぱいだと、知らぬ間に他人を傷つけてしまうのだろうな、と冷静に感じてる自分もいた。

逆に私もまた、知らぬ間に人を傷つけてしまっているのかもしれない。

でも同時に"どうせ発するなら、誰かの救いになる言葉がいいよなぁ"とも思った。

批判や悪口ならいくらでも言える。なんなら私だって言ってしまうときはある。

でもその言葉を放ったところで、誰の救いにもならない。誰も幸せにならない。

逆にその言葉を放ったせいで、自分が何かモヤモヤしたり、わだかまりが残ってしまうなら、むしろそれはマイナスになってしまう。

それならせめて少しでも前向きに、誰か1人でも救いになる言葉を、私は紡いでいきたい。

でもその為には自分が安定して穏やかじゃないといけないから、まずはトゲを涙で流して自分を満たしてあげることが必要なのかも。

傷つくのは辛い。哀しいことは嫌い。ふと泣きたくなる夜なんて今までもたくさんあったし、夜が来なければいいのにと思う日だってあった。

けどちゃんと傷ついたから、ちゃんと悲しめたから、分かる苦しみや痛みがある。

自分のトゲを自分で抜いて、自分を愛でて、満たしてあげたその先に、同じように苦しんでいる人の、せめて側に寄り添えられるようになれたらなあと、思ったりしてる如月の日々。

#言葉 #とは #ライター #ライティング

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