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【特集】誰かの靴を履いてみる~『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を読んで考えたこと

みなさんこんにちは!

medien-lienのメンバーで、ラジオ番組「ケロケロ見聞録」の広報・ブランディング長と、パーソナリティを務めているさきです。(自己紹介はこちら🐸)

前回のもりぞーに続き、第3回目の特集記事を担当します!
今回のテーマは、「誰かの靴を履いてみること」です。
(言葉の意味は後ほど説明します)

進路選択支援を行いたい、その根底にある想いとは

私の卒業研究のテーマはざっくりというと「高校生の進路選択支援の実践と効果」です。具体的には、高校生と社会(専門家)を繋ぐコミュニケーションについて考えていきたいと思っています。これから話したいテーマと卒業研究テーマ選択の根底にある「想い」が共通していると感じたので、まずは私が持つ「想い」についてお話しようと思います。

自分で自分の進路を決めるには、選択肢を知らないといけない

少しだけ自己語りをすると、私の両親は教員免許を持っていて、いわゆる「教育熱心な家庭」だったと思います。ただ、両親が公務員であるからか、幼い頃から将来の進路については、「公務員」とか「安定した企業」とか、「経済的に安定した旦那さんをもらいなさい」と言われてきました。私はひねくれた性格なので、「絶対に親の言う進路には就きたくない!!」と思っていたのですが・・(笑)

もちろん、両親も悪意があってこんな言葉をかけたのではないと思うし、むしろ、私が将来苦労しないように、という思いでかけた言葉なんだと思います。

また、最近塾講師として生徒と関わったり、他の大学生の話を聞いたりして思うのが、多かれ少なかれ、私たちが進路を選択する上で、親や親戚、先生など身近にいる人の価値観に影響されているということです。

私が言いたいのは、このような助言が悪いということではなく、特定の人が言う「安定」とか「こうした方がいい」を、思考停止した状態で受け取ってしまうことは、危険だということです。しかし、身近な人に幼い頃から教えられた(教え込まれた)ことを疑ってみることも難しいことだと思います。だから、思考停止しないためには、多様な人と交流して、色々な「生き方」を知ること、そして、同時に「自分はどう生きたいのか」を考えることが必要であると考えています。考えるときに大事にしたいのは、「誰かがそういったから」ではなくて、「私がそうしたいから」という気持ちです。

私は高校生を対象として、高校生と社会をつなげる機会を作りたい、「自己決定」できる人を増やすための場を作りたいと思っています。

ここからは、私が実体験として感じた「女性という切り口でのみ生き方を語られる」ことのもやもや、「ある一つの考え方(生き方)が正だとする」ことについてのもやもやを晴らすために、「ダイバーシティ(多様性)の実現がなぜ難しいのか」について考えていきたいと思います。

「ダイバーシティ」とは

中村(2017)によれば、ダイバーシティとは

「組織における人材が 均質な状態(モノカルチャー)から、多様な人材の集まっている状態や、異なる人が混在している状態」

であるとしています。

誰かの靴を履いてみること

タイトルは、最近私が読んだ本「ぼくは、イエローでホワイトで、ちょっとブルー」の中にある言葉です。

この本は、父がアイルランド人で、母が日本人の「息子」が経験した、人種も貧富もごちゃまぜの「元・底辺中学校」での中学校生活の最初の1年半を書いた本です。

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好きな言葉、心に留めておきたい言葉に付箋を貼っています。

本の中では、人種差別丸出しの美少年、ジェンダーに悩むサッカー小僧などが登場し、時には貧富の差でギスギスしたり、アイデンティティに悩んだりという「息子」と「母ちゃん」の考えが描かれています。

本の中から印象的だった言葉を2つ紹介しようと思います。

息子「世界で起きているいろんな混乱を僕らが乗り越えていくには、自分とは違う立場の人々や、自分と違う意見を持つ人々の気持ちを想像してみることが大事なんだって。つまり、他人の靴を履いてみること。

この本でも言われているように、自分と似たような意見を持っている人々や、かわいそうな立場の人や問題を抱えた人に対して気にかけていることを示すこと(シンパシー)は自然に出来ても、自分と違う理念や信念を持つ人や、別にかわいそうだとは思えない立場の人が何を考えているのか想像する能力(エンパシー)を獲得することは容易ではないのだと思います。

母ちゃん「多様性ってやつは物事をややこしくするし、喧嘩や衝突が絶えないし、そりゃない方が楽よ」
息子「楽じゃないものが、どうしていいの?」
母ちゃん「楽ばっかりしていると、無知になるから。多様性は、うんざりするほど大変だし、めんどくさいけど、無知を減らすからいいことなんだと母ちゃんは思う」

この一節を読んだときに、最近感じていたもやもやが晴れた気がしました。

確かに多様性はややこしい。だけど、自分の分からないことを「知ろう」としなければ、自分の持っている「思考」が凝り固まってしまう。さらに、凝り固まってしまうだけでなく、それが無意識のうちに他の人への差別や偏見、分断に繋がっていくのだと思いました。

まとめ

私が「誰かの靴を履いてみる」ときに、意識していることがあります。

それは、

自分の「思考の枠」を取り外すこと

私は自分のこれまでの経験や、ある状況で沸いた感情でしか、他の人の気持ちを想像することはできないと思っています。しかし、同じ状況下でも自分と自分以外では、感じ方・考え方が違います。

自分の枠があると、どうしても自分の枠に当てはめて「なぜこの人はこのような行動を取るのだろう」と考えてしまい、それが自分の思考の範疇を超えていると、ストレスやもやもやに繋がることもあると思います。

だから「自分がこう思うから、相手もこう思うだろう」という自分の枠を取り払って、一度相手と向き合うこと、行動の背景にある価値観を知ることで、相手を理解できるようになると思っています。そうなると自然と、「~であるべき」とか「〇〇はこうだろう」といった、偏見・ステレオタイプ・差別といったものが少しずつなくなっていくのではないでしょうか。

「息子」と「母ちゃん」の会話を覗いてみると、私も無意識のうちにもっている差別や偏見があるのではないかとハッとさせられます。もしかしたら多様性の理解に終わりはないのかもしれません。それでも、少しずつでも、「ダイバーシティ(多様性)」を考え続けることが大事なのではないでしょうか。

そして個人が、性別や年齢、人種など属性で判断されるのではなく、
「個人」として認められる社会をつくっていきたいです。

ぜひ、みなさんの「ダイバーシティ」に関する感想・ご意見も聞かせてください。

私たちはこの特集記事のように、社会に出る前の「大学生」が社会に対して、疑問に思っていること、話してみたいことをテーマに議論を進めていく、ラジオ番組「ケロケロ見聞録」を制作しています。(毎月第一日曜日の夜10時-11時、LOVE FMで放送中です!)

「世間ではこう言われているけど、実際はどうなんだろう?」
「なぜこの社会課題は重要なのかな?」

私たち大学生は、本当の意味で社会を知らない(井の中の蛙(ケロケロ))かもしれないけれど、井の中の蛙だからこそ発信できることもあると思っています。

番組に興味を持った方は、ぜひこちらから番組の様子を覗いてみてください🐸

それではまた!

※引用
中村豊. (2017). ダイバーシティ & インクルージョンの基本概念・歴史的変遷および意義. 高千穂論叢, 52(1), 53-84.

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