サンドウィッチマン M-1ドリームとは奇跡ではない運命を引き寄せた努力

今回はお笑いについてのべていく。
2001年から始まったM-1グランプリは
芸歴10年以内の芽のでない若手のチャンスと引導を渡す島田紳助氏が考えた大会である。

現在は点数はおおよそ80~98位で安定してるが
当初は試行錯誤もあり50をついたりしてたコンビもいる。

サンドウィッチマンの優勝の時代はまだ70点代が出るコンビもいて多少バラつきがあった。
ミルクボーイが2019年にM-1最高得点の681を叩きだし最終決戦も かまいたち ぺこぱを抑え圧倒的優勝したがサンドウィッチマン以来の無名が優勝する快挙と言われた。
ミルクボーイは劇場の出番のみで全くの無名で最高でも準々決勝留まりだったが霜降り明星の優勝をみて鍛え上げて優勝した。
確かミルクボーイはとても面白かった。
ただ、サンドウィッチマン以来のM-1ドリームというのはいささか違和感を覚える。

当時のサンドウィッチマンは現在のような活躍はしてない。しかし、全くの無名ではなくM-1から2年半前にエンタの神様のピザ配達コントをきっかけに徐々に「コントの面白い柄の悪い二人組」として仕事が増えてきて優勝の前年、一昨年はあと一歩準決勝で敗退してしまったが、準決勝で敗退した芸人はそこそこ有名か劇場では期待されているネクストブレイク芸人ばかりでサンドウィッチマンはそこに2年入り込んでるため、ネクストブレイク芸人の位置付けに居た。不謹慎だが彼らはM-1は決戦まで行ければ知名度もアップし3.11の対応や仲良し芸人、好感度、皮肉にも二人とも不摂生の体型により親しみやすさ、食べる系の番組も多く起用されていただろう。多少遠回りしても今のポジションにはたどり着いただろう。
決戦に行けた時点で勝ちである。これはオードリー、ぺこぱにも言える。
次はM-1のブレイクの壁について説明する。

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