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人生の縮小均衡を考える

歴史を振り返れば、人類は文明も経済も右肩上がりに発展させて、これまでの時が流れてきた。
一時的にせよ、戦争やスペイン風邪などで活動が抑えられた時期もあったが、それでもまた立ち直り、今日に至っている。

今年に入ってからのコロナ騒動は、世界的な規模で起きた事象であり、第二波、第三波も侮れないことから、かつて経験した東日本大震災よりも見通しが立っていない状況がある。

身近なところでは、6月に外出自粛規制が解除されたものの、赤坂界隈は人の流れは戻っていないと商売をしている知人が話していた。一部の企業では、これを機にリモートワークが定着するのかもしれない。
アフターコロナの様相は、以前の生活に戻ることではなく新しい生活様式に慣れることと言われている。

卑近な話で恐縮なのだが、「いつになったらマスクを外していいのだろう?」

梅雨入りして気温も上がってきたこの頃、そう思う人は結構な数でいることと思う。私もその一人だ。

いや、街中にはもうすでにマスクなしで闊歩している若者もいる。そこをまた正義漢よろしく非難する者が現れないとも限らない。
せめて鼻の穴だけでも出して、ひっそり息を吸いたいと思う。

人生の黄昏時

閑話休題。
人生においても、拡大路線でいるうちは先々の目標も夢もある。年代で言えば20代、30代くらいまでだろうか。

それが50代の声を聞くようになると、少し先が見えてくる。
織田信長の時代だったら、もう寿命も近いだろう。
必然と親の介護をする立場になり、自らの行く末を重ねて立ち止まることもある。

そうなると、拡大路線から縮小均衡への舵取りをするタイミングである。
女性であれば、更年期症状が表れて肉体の変化を体感することもある。
子どもも10代後半~20代になり、それほど手は掛からなくなった。

先々、と言ってもそれがあと10年なのか30年なのか。寿命は神のみぞ知るところ。これから何を支えに生きて行こうかと考える時期である。

今のアラフィフ(50代前半)はちょうど20代の頃にバブル経済を肌身で経験している。
経済は右肩上がり、この先日本はますます発展していくことを信じて疑わなかった世代だ。それが、コロナ禍を経て社会が変革期にあることを知り、自らの肉体の衰えも重なって戸惑っている。

そんな話を妻からも聞く。
もはや、バブルはやって来ないのだ。

つい先日、清原選手の記事を読み、大なり小なりバブル経済を体験した方々は、一時の恍惚感を忘れられないでいることと重なった。

もちろん、分別のある大人がクスリに手を出すことなどないだろう。
としたら、この虚無感をどうやって埋めたらいいのだろうか。

アフターコロナのアラフィフ世代は、社会の変化に対する不安と自らの肉体の衰えを正面から受け止めて、これからの生き方を見つけることになる。
その形は、置かれた立場によって人それぞれ違うはずだ。

かつて見たキラキラした希望は想像しづらい。
敢えて言えば、それはロウソクの明かりにも似た小さな灯火(ともしび)ではないだろうか。

道端で咲いている紫陽花に目を惹かれる
小学校から子どもたちの元気な声が聞こえる

そんな、日々の小さな発見を積み重ねていくことが、今のアラフィフが直面している人生の縮小均衡を乗り切る術(すべ)の一つになりうると思う。

超高齢社会を迎えた現代、誰しもやがて介護が必要になる瞬間が来るだろう。願わくば、死ぬまで楽しめるジジイやババアになりたい。


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たまねぎを一枚一枚剥いていったら、その先は空だった。どこかに真実はあるのでしょうか。否、たまねぎの皮を剥くという経験が残りました。

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