
治療院立ち上げ日記 Episode 1.1
いざ入学してみると
『指圧の心 母ごころ おせば生命の泉湧く』
浪越徳治郎先生が一斉を風靡したキャッチコピーも、今は50代以上の方々がわずかに聞いたことがある台詞になってしまいました。
指圧学校の昼間部は30名のクラスが2つあり、午前中に90分×2コマの授業が行われます。月曜日から土曜日まである12コマの授業のうち、実技指導があるのは3コマ。残りの4分の3は座学です。
実技の時間はこんなに少ないものか、というのが第一印象でした。
クラスメイトの年齢は幅広く、高校を卒業した10代の若者から、上は還暦を超えた人生の先輩まで。社会経験もまったく異なる30人が一緒に授業を受けます。
これまで経験した学校生活は同じ年齢の者が一斉に授業を受けるスタイルでしたので、それも新鮮に映ります。
4月に授業が始まったものの、午後からは仕事があるため急いで職場に向かいます。しかもスーツ姿で通学していたために、最初のうちは近寄りがたい印象を与えていたと思います。
5月の連休前にはクラス委員なるものを選ぶという場面がありました。
小中学校よろしく、30人のクラスをまとめる委員長と副委員長が選ばれます。
あとから知るのですが、面接の際の受け答えから「この人は責任感がありそうだ」という人がクラス委員に選ばれるのだそうです。事前に先生たちの間で◯◯さんにお願いしたい、というお膳立てがありクラス委員が決まる。
小さいながらも組織をまとめる、という点では当然の流れかもしれません。
どういうわけか私も、3人いるクラス委員の1人に選ばれていました。
おもに行うのは授業に関係する連絡事項や、実技の組み合わせを決めること。新学期の始めに行う席替えなどでした。
一旦、社会人を経験した身にとって、学生に戻るということはこんなに気持ちが違うのか。やり残した青春を取り戻すように、学生であることの気分を楽しんでいました。
それは、再びモラトリアムに戻ることを許された責任感のなさ故なのか、それとも新しい世界に足を踏み入れて間もなく感じる無知ゆえの希望なのか。
その両者が混じり合った独特な印象でした。
解剖学は難しい、生理学はさらに難しい
そんな学生気分を楽しんでいる傍ら、そこは勉強するために学校に入った訳ですから、日々、授業を受けることになります。
当時の解剖学の先生は、某大学の解剖学教室から来た講師。
怒涛の如く専門用語を板書して、それまで見たこともない解剖図を次々と描いていきます。学生はそれをノートに書き写すのに必死。
1990年後半は、まだパワーポイントで授業を行う講師はほとんどおらず、板書とプリントが中心の授業でした。(ちなみに現在はパワポで授業を行う先生がほとんどです)
私のほかにも働きながら学校に通っている者は数人おり、やむを得ず仕事の都合で授業を休んでしまう時があります。
もしくは、高校を卒業したばかりの若者たち。
授業なんてやってらんねーぜ、と言わんばかりに遊びたい時期なのは、私も経験があるから気持ちはわかります。
そんな人たちに有り難いのがテスト対策のプリントとノートのコピー。
中間試験、期末試験の前ともなると、クラスの垣根を越えて「◯◯さんが取った解剖学のノート」が出回ります。
または代々、先輩から受け継がれてきた◯◯先生のテスト対策シリーズ。
ご多分に漏れず、私も随分とお世話になったものです。
しかし、自分で手を動かして書いたものでなく、しかも授業は出ていないとなると十分に理解するには及びません。仕方なく、短期記憶で赤線の引いてある言葉を丸暗記してテストに臨みます。
60点を下回ると再試験になり、再試験を受けるには別途、試験料がかかります。1科目5,000円は、学生にとってはまとまった金額。
再試験を避けるために一夜漬けをする仲間も相当数いました。
かたや、日頃からコツコツとノートをまとめている人。
地頭がいいのか、授業を聞いているだけでとくに勉強している素振りを見せない人もおり、あらためて専門学校の多様性を感じます。
解剖学はイラストや写真があるために、あとはその部位の名前をひたすら覚えることになります。
一方で生理学は、例えば心臓の一部が自ら収縮して、その電気信号が心臓に順序よく伝わり、その結果、血液を肺や全身に送り出すという「システム」そのものを理解する必要があります。
これは、生理学の専門用語を覚えるだけではなく、仕組みや反応などの概念を理解することが求められるため、なかなか覚えられない仲間もいました。
どのクラスにもドラえもんの出木杉君よろしく、勉強ができる人はいるものです。それは、大学でその分野をかじったことがある人だったり、入学前にカイロプラクティクを学んでいる人だったりします。
自分より、ちょっと先を歩いている仲間に声をかけて、テスト前にいろいろと教えてもらう。
そんなことをしながら、少しづつ学校生活に慣れていった記憶があります。(つづく)