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母親とのこと

私は、親のことが好き、と思ったことがない。だから、親が好き、とか親を尊敬している、という人をすごいな、と思っている。

親への感情は、どちらかというと恨んでいる節すらある。随分と歪んでいて、その気持ちを裏付けするような思い出と紐づいているから、結婚式での“母親への手紙”では書くことが思いつかず、インターネット検索で得た例文そのままに綴った。

振り返れば、いくらでも親へのどうしようもない記憶ばかりが脳裏にこびりついている。そのまま大人になっている自分をどうしたいのかも、わからずにいる。

例えば、私は、両親から褒められたことがない。否定されてばかりいた。

私が絵を描けば同級生と比べられダメ出し、字を書けば、字が汚いと母親に罵られた。それらの上達の術もわからず、母親に尋ねても教えてもらえたことはなかった。

仕事の都合で不在がちだったけれど、時折、父が読み書きを教えてくれたり、手芸なども手ほどきしてくれた。決して母親から教わることはなかった。

父が不在の時、母親は父への鬱憤や子育てのストレスからか、私や妹に暴力を振るった。妹に関しては、脳震盪を起こすほどに身体をタンスなどに投げつけられていた。

そんな日々を送っていると、父も薄々異変を感じていただろうが、救いの手などが差し伸べられることはなかった。

学校での出来事などは、つまらない話だからするな、と母親に言われていたので、どんなに辛いことがあっても話すことができなかった。たとえ母に話したとしても、怒鳴りつけられるだけで話を聞いてなどもらえない日々を送っていた。

それなのに、同級生の母親たちから、私の母へ話が伝わると「なぜ話さなかったんだ?」と怒鳴られた。そんな理不尽なことばかりが、ずっと続いた。

進路を決めるにしても、親の都合や世間体ばかりが優先された。私の希望がほとんど通らなかった。

就職活動をするときにも、母から口出しばかりされた。

昨今では“毒親”という言葉を見聞きすることが、増えた。毒親から抜け出せないのは、そんな親と暮らしていると洗脳みたいな状況になって、逃げだしたくてもできないのだ。

私の母親は、外面が良いから、毒親であることは周囲に気づかれていないかもしれない。義務教育の頃は、同級生たちには「あいつの母親は良い人なのに、あいつ自身に問題がある」と言われたこともあった。

いまだに母親のことは、好きになれない。親に育ててもらってきたんだから感謝しろ、などと言われたこともあった。

母親の異常さに気づいている父親も、そんな母親を見捨てることなく、日々が続いている。

今私が、時たま実家に帰省するのは、親の顔を見る、というよりも、親からのかつての罪滅ぼしの言葉が欲しいからなのかもしれない。あるいは、褒められたことがないまま大人になった私の未熟さが、親から認められることを求めているような気もしている。

子どものことがかわいくて仕方ない親。子供の希望を尊重する親。そんな親たちを尊敬する子どもたちという光景が羨ましくて仕方ない。

どこの家庭でも、問題を抱えながら暮らしている、とはいえ、一生の傷を負いながら生きていくのは辛い。

#毎日note #エッセイ #毒親 #親子 #家族

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