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REALITYは伸びない

 みんなさんは、REALITYというバーチャルライブ配信アプリをご存じですか。2018年8月7日に株式会社Wright Flyer Live Entertainmentによりリリースされたこのアプリ(間違っていたらコメントで指摘お願いします)、当初は世界初のVTuber専用ライブ配信プラットフォームとして、大きな期待とともに注目を集めました。今、YouTubeと比べてみて、REALITYは"バーチャルライブ配信アプリ"たりえていますか。多くの方は、肯定できなかったと思います。今回は、その理由を主に書きたいと思います。

REALITY とは

 マイナスポイントだけ述べるのもフェアではありません。ですので、

こちらの記事がREALITYの優れたポイントを簡潔明瞭に挙げています。REALITYをあまりご存じない読者の方は、一度読んでから再度この記事に戻ることをおすすめします。

 上記の記事にもあるように、REALITYは「誰でも」「手軽に」VTuber配信が出来ることが強みです。「売れたい」「名を轟かせたい」といった汚くて美しい欲望とは全く異なり、気楽にVTuberになれます。配信者の敷居は低いし、視聴者は手軽にVTuberを観ることが出来ます。
これは、「エモモ」という機能によって、自分でアバター・環境を用意する必要がないことに起因しています。 (筆者の勘違いにより取り消し)
VTuber界が抱える根本的な問題点を一気に解決したと言ってよいでしょう。このように、一見してREALITYには非の打ち所がないように思えますが、そうであれば、約2年経った今、REALITYはVTuber各位にとってかけがえのないプラットフォームになっているはずです。実際はどうでしょうか。

問題点1

 KMNZ*¹さんをはじめ、有名なVTuberがREALITYで配信していることはありますが、では、彼女らほどとはいかないまでも、それ相応の視聴者を持つREALITY配信者を何人挙げることが出来ますか。REALITYを使ったことがない方は、一度落として開いてみてください。少し悲しくなります。
恐らくですが、目のアイコンの横の数字が「600」「0」「0」「0」「0」「0」「25」「4」「0」みたいな感じだと思います。ここで、問題点の一つめです。
一つめの問題点は、視聴者0人が顕在化している点です。この機能はREALITYのユニークなUIと言えます。YouTubeの場合、同時接続数が多い人がおすすめに表示されやすいので、かなり漁らないと視聴者0人を目にすることは出来ません。しかし、REALITYの場合、パッと生配信一覧を開くだけで、すぐに目に映ってしまいます。視聴者数というのは、配信者のコンテンツとしての面白さと必ずしも一致するわけではありませんが、大きな参考指標になります。面白ければ、視聴者は見続けますからね。
全員を追い、全員を推し、何人かを推し、推しを探しと変遷し、VTuberの増加とともに視聴者のリソース配分も限られました。今となっては「追えるときに推す」が最適解と捉えられています。よって、VTuberの中から推しを探す際、時間の節約のためにも、何かしらの事前情報を元に「観に行くかどうか」判断しなければなりません。さらには、こうして推しを観たり探したりする視聴者の絶対数自体も、残念ながら未だ多いとは言えません。

 このような視聴者状況で、推しを探そうと漁ってるときに「視聴者0人」を目にした場合、視聴者は配信を観るために画面をタップしてくれるのでしょうか。可能性は極めて低いと思われます。「誰も観てないのか・・スッ」とスクロールしてしまうのではないでしょうか。俗に言う「マイオナ」だったりサムネイルに映るアバターに惹かれたりしない限り、あえて視聴者0人の配信枠を観に行く理由がありませんからね。
察しの良い方であれば、「一回観てから観続けるかどうか決めてもいいんじゃ?」と思われるかもしれません。実際にYouTubeなどでそうしている方もいるでしょう。ここが、問題点2に繋がります。

問題点2

 「一回観てから見続けるかどうか決めてもいいんじゃ?」は、REALITYでは出来ません。出来るんですけど、出来ないんです。

具体的に言うと、枠に入ったことがログで標示されるのです。「視聴者0人だけど面白そうだな。合わないならすぐ抜ければいいし」と入ったら最後。

「【○○さんが入室しました】」
「?!」
「○○さんいらっしゃい!(大いなる期待と感謝) 初見さんですか?(迅速な確認)」
こうなってしまってから、「声が合わないわ」「口調がちょっと・・」と無言即退室できますか、という話です。無言即退室された配信者さんの気持ちを想像してみてください。とても大きな罪悪感に苛まれませんか。即退室しなきゃ良いのですが、視聴者には時間の余裕がありません。一刻も早く推しを探したいのです。推せないなと感じたVTuberの配信を見続けるのですか。こうした罪悪感があると分かっていながら若しくは知ってしまってから、他の視聴者0人の枠に入室出来る人はいるのでしょうか。
 

まとめると、REALITYでは、推しのVTuberを探しにくいのです。
(補足・・・入退室のログ標示はREALITYに限った話ではない(17LIVE等)ですが、視聴者の母体数が少ないREALITYとそれらでは話が変わってくるのです。)

REALITYのアバター

 如上の問題点二つは、UIや感情に関することでした。一方、これから挙げる問題点3は、少しだけ哲学的な問題です。
 REALITYは、「簡単にVTuberになれる」と掲げるように、明確に魂と肉体(ガワ)を区別する立場を採っています。中の人がいる前提です。したがって、視聴者の目に映るアバターがバーチャル空間に存在していてそこから配信している、というわけではありません。現実の人間がとある企業のアプリを使ってアバターを作成しそれを用いてVTuberとして配信しているのです。つまり、中の人が、嗜好の限りを尽くして作成したアバターではありますが、根本的には魂とアバターは区別されます。

 このとき、中の人は、作成したアバターを「自分」だと認識して配信します。よって、区別されるが別ではないということになります。視聴者も、目に映るアバターを人格として見た上で配信を観ます。ここでいう「自分(=アバター)」とは、紛れもなく「自分」のことであり、この真実は何ものにも代えがたい究極目的*²です。自らが意識し、一切疑い得ない「自分」です。重要なのはここです。

問題点3

 ここで質問です。この究極目的たる「自分」が、多くの他者と外見が似通っている場合、「自分」たるアバターを完全に「自分」だと意識することは出来ますか。

自分に似てる人は3人いる、という話はよく耳にします。私見ですが、この程度の数であれば、仮に似ている人がいると知ったところで、自分が「自分」であることを揺らげはしないでしょう。
 しかし、似ている人が何十人といて、さらに局所的に存在していたらどうでしょうか。「親族でも何でもなく面識も無い他者何十人が「自分」と似ていて、しかも近くにいる」というのは、ものすごく恐ろしくて不気味なものだと思います。
 2020年半ば現在、深いVファンの間では「VTuberは、中身勝負である」という考えが一定に理解されていると思います。いかにガワがきれいでもつまらなければ一発屋に終わる、というのを何回も観測したことに由来します。
ただ、そうはいっても、VTuberのいう「自分」にはアバターも当然に含まれており、たとえ鬼のポリゴン数を誇らずとも、若しくは地味な服装であろうとも、差別化を図ると思います。他者とは異なる「自分」なのですから、他のVTuberとは客観的にも異なるようにする必要が出てきます。

 では、REALITYはどうでしょうか。章をまたいで確認してきた魂とアバターの話ですが、これは問題点3を挙げるための長い前置きでした。
 三つめの問題点は、REALITYのアバターには多様性が無い、です。どれだけ頑張ろうとも、ベースとなる顔から乖離することが出来ません。何者でもない「自分」が多くの他者と似通っているとは、こういうことです。REALITYで配信する方々の外見すべては、ベースの顔で因数分解が出来てしまうのです。自分を構成する「(アバターとしての)自分」が、局所的(同じアプリ内)に存在するすべての配信者と相似するというのは、いろいろな意味での人格を重視するVTuberにとって、かなり忌避される事項ではないでしょうか。
黒い砂漠*³のように、ベースキャラから作ったとは思えないほど変化するとはいかないまでも、因数分解出来ない程度には外見の多様性が確保されなければ、例えばREALITYアバター数名で集合写真を撮ったとき、似通った外見が固まることになり、本当に”集合写真”なのか首をかしげてしまいませんか。アバターも含めて「自分」を考える人は、あえて自分から因数分解されてしまう外見を作るようなことはしないでしょう。

 こうして、手軽さ・簡単さといった敷居の低さに重きを置いたことで、「ガワさえあればいい」という人たちの間にしか、REALITYは刺さらないのです。ものすごく悪意を持って言うならば、「みんな顔面いっしょで草」です。多少なりとも差別化を図りたい人には、見向きもされません。
言い換えれば、とりあえずVTuberというものを手っ取り早く体験してみたい!という人にとっては、絶好のアプリです。
 しかし、それまでです。「やっぱ微妙だな」となれば辞めるだけですし、「楽しいな」と感じてくれたとしても、より広いYouTubeに移行することは目に見えています。そのとき残るのは、「REALITYがちょうどええわ」と感じた人だけです。多くの人を包めず多様性も無い配信プラットフォームに、魅力は感じるでしょうか。

REALITYの意義

 もっとも、本当はそもそもREALITYを、YouTubeのような多くのVTuberが配信するプラットフォームとして成長させるのが目的でリリースしてはいない、という可能性もあります。あくまで、敷居の高いVTuber界への第一歩・入り口としてリリースしたというのであれば、使いやすさ・気軽さを重視したことにもつじつまが合います。そうであれば、アプリが重くなったり民度も下がったりしますし、わざわざ大多数の人を抱える必要は無くなります。

 しかしながら、本当にそうなのであれば、これは明確に悪手だと言えます。
なぜなら、プラットフォームの使いやすさ・手軽さで言えば、YouTubeにも同じことが言えるからです。日頃から使われていることも考えれば、YouTubeの方が親しみやすいとさえ言えるかもしれません。あえて、REALITYをダウンロードする必要がありません。そこに、これまで見てきたような問題点が重なってくるとなると、いよいよREALITYを使う理由が無くなってしまいます。

まとめ

 上手くまとまらず駄文じみてしまいましたが、いかがでしたでしょうか。繰り返しになりますが、そもそもYouTubeにもいっぱいVTuberはいるし、伸びてて面白いVTuberはすぐに見つかるし、使い慣れてるから推しを探しやすいし、その中であえて問題点もあるし人はいないしのREALITYで、VTuberを観ようとする人がどれだけいるのでしょうか。
僕自身、熱狂的なREALITYユーザーというわけではありませんが、VTuberのためのプラットフォームがいまいち伸びない現状について、いちVTuberファンとしてやるせない思いになるのです。
 YouTubeはVTuber以外のYouTuberもいますし、YouTuberとバーチャルYouTuberを明確に区別したい僕としては、もっとREALITYが広まって欲しいと思う部分もあります。
少しでもREALITYの名前を知ってもらえる一助になれば、幸いです。

                              おしまい

【注釈】
*¹・・・女性二人組のVTuber。 
KMNZ LIZ  https://www.youtube.com/channel/UCRMpIxnySp7Fy5SbZ8dBv2w
KMNZ LITA  https://www.youtube.com/channel/UCwuS0uY-Z2Gr_5OV2oFybFA

*²・・・イマヌエル・カント, 永遠平和のために, 1795年
    これからの「正義」の話をしよう-いまを生き延びるための哲学, マイケル・サンデル, 鬼澤忍訳, 早川書房, 2010年

*³・・・MMORPGの一つ。 https://www.jp.playblackdesert.com/Main/Index?ADcampaign=paservice&ADSource=google_sa&ADTrackerName=200708&ADMedium=google_sa&ADContent=jp&gclid=Cj0KCQjw6ar4BRDnARIsAITGzlB6ZPchZqeZb9_PGDDYIi8nIIFMR4qHoMaplhjDiciMGvdosL8FD_gaAi8-EALw_wcB#utm_campaign=paservice&utm_source=google_sa&utm_term=200708&utm_medium=google_sa&utm_content=jp



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