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夢なんて、ない。

「それでも生きていける」

こんにちは、作詞家の大貫理音です。みなさんには叶えたい夢ってありますか。わたしにはありません。夢や目標がなくても大丈夫です。あなたを支える資産は年齢や地位、名誉だけではありません。何かを失ったり得られなくても、どうか自分を諦めないでください。(この辺は後々有料マガジンでお話しします)

わたしはこれまで本当に心からやりたいこともなく、何かになりたいと強く願ったことはありませんし、勉強も含めて『自分への投資』を頑張った記憶がないのです。
義務教育の節目のいつか半強制的にぼんやりと思い描いた自分は、今ここにいません。学生時代はとにかくなんとか息をして朝起きて通学して家へ帰る、ただ生きることに精一杯で、それ以上の努力をする必要性を感じない無気力人間。だから今はあの頃の想像の域を遥かに超えた未来を生きています。

子どもの頃は殺伐とした環境で育ち、ただ毎日をギリギリで生きるだけ。将来の希望も、何か大きなことを成し遂げることも、何者かを目指すこともなく、ひたすら目の前にある事をこなし、自分なりの必死さで生きてきました。
そんな自分を、生きる環境を、少しずつでも変えたいと思ったきっかけは最初の大学を卒業したての22歳の頃。勤務先で出逢った10歳年上のお姉さんに憧れ、自分は彼女のように今この時を大切に出来ていないと気づいたのです。はっきりものを言うキャラクターで場を盛り上げて周囲から愛されるお姉さんの清々しい振る舞いに感銘を受けました。(お姉さんのご紹介はまた別の機会に)

たった今、わたしはどうしたいのか、どう感じたのか、できる限り他人や世間に流されない自分の本心や考えをはっきりしていくことからはじめようと思ったのです。こうしたらどうなるだろう、自分ならどう活かせるだろう、そんなふうに想像を巡らしていました。生まれてはじめて人に対して「損得勘定なく人として好き」「ついていきたい」「学びたい」と思ったのです。何かに食らいつくと意外と執念深く貪欲な自分がいました。

若かりし日に憧れたお姉さんの歳を越えた今、目の前にはたくさんの手段から選んだ日常があります。小さな行動でもいちいち思考を巡らせて今この時の最善を選びます。
考えるということは何も難しいことはありません。いつでも誰にでもできることです。失敗に反省しても後悔をいつまでも引きずらないように、いつしか考える行為ととりあえず動いてみることが楽しくなりました。いつもと違うルートで職場まで向かったり、好きな人の役に立ちたいと思ったり、環境や他人に興味を持つようになりました。(この辺のお話も有料マガジンで詳しくお話しします)

見えない未来への夢や希望を持つこと、それは悪いことではありません。むしろすごい勇気です。ただ遠い先ばかり見ようとして不安が増したり、大きなプレッシャーをひとりで抱えすぎて潰れてしまい、目の前の大切なことを放置したり希望を捨ててしてしまう人もたくさん見てきました。
ひとりで達成できそうもない目標や大きな夢を背負ってなんだか疲れたなって思ったら、魔女BARに少し置いていきませんか。

少しでも肩の荷がおりた時、繰り返しの毎日をどう感じて、いつもと同じ景色はどう観えるのでしょうか。
その時に何か新しいことを始めなくてもいいのです。自分ができないことはやらなくていいのです。できる人に任せてしまえば世界は回ります。誰もができることを人一倍真剣に取り組むひともいます。生き方は人それぞれです。あなたにしかない『視点』が社会には必要なのです。

頑張りすぎた人も頑張りたい人も、頑張れない人も、今ありのままに生きたい人も。どなた様も大歓迎です。『優しい止まり木』の待つ魔女BARであなたの物語を聞かせてください。どこかに眠っていた何かが目覚めるかも?

いつもご支援ありがとうございます。企画や活動に役立たせていただきます。