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読書感想文*2作目

ごあいさつ

ほとんどの皆様初めまして。
脳筋PTかわたという者です。
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私情により自己紹介の前に読書感想文2本目を完成させました。
お時間がある方はぜひお付き合い下さい。

本の紹介

2作目の題材はこちらの書籍です。

前回の記事はダラダラ書いてしまったので、
今回はすぐ本文に移りますね。
「感想文はいいから本が読みたいんじゃい」
という方はこちらをご参照ください。

感想

この本は私が恩師から借りた最期の本だ。
あれこれうるさい私を黙らせようという意図で貸したらしい。
恩師の思惑通り私はこの本を読了するまでにかなりの時間を要した。
170ページ弱という文庫本としては薄い部類に入る本書だが、非常に読み応えがある。
本書はうつ病という病に冒された著者が回復するまでの出来事を想起し綴られた手記である。
このように一言でまとまってしまう本書だが、実際に読むとなると「ざっと読み」が出来ない。
一文でも飛ばすと情景や著者の心境に変化が生じている。
これ程までに一字一句読み飛ばさないように細心の注意を払う必要がある読書は、私にとって初めての体験だった。

本書は発症当初から完治にいたるまでの過程を20章に分けており、全体を通じて淡々と記されている。
しかし各章の締めくくりの一言にうつ病の回復過程でみられる気分の浮き沈みを推測させる言葉が使われているため、ハラハラさせられる場面が何度もあった。
そしてうつ病と切っても切り離すことのできない「死」についての描写も何度も出てくる。
うつ病が治ったという話を本人が書いているのだから、死という選択をしなかったのは明白なのだが、それでも「毎日何十回も電車に飛び込むイメージが頭の中を駆け巡っている」や、「(著者の入院中のベッドがリクライニング機能使用不可だった理由について)それは角度を利用して服などで首を吊らないようにだ」という描写にはドキっとさせられた。

もちろん著者が回復していく過程も明確に書かれている。
「明確」という表現はもしかしたら不適切かもしれない。
私が勝手に著者や著者を支えた家族・知人たちの心境を想像して「この言動があったから回復に向かったのだろう」とこれまた私が勝手に想像しただけだ。
それくらい本書は起きた出来事を淡々と記している。
まさに行間を読ませる本だと感じた。
そんな本書の中で私が一番印象的だった一文は「妻が走り回っているなど露知らず、私は散歩と休憩室でのおしゃべりに明け暮れていた」だ。
この一文は著者が精神科へ入院して間もなく生じた問題を解決すべく、妻が奔走している場面に記されている。
うつ病は脳の病気であり集中力や思考力が低下するとともに、自分が無価値であると思う微小妄想というような症状も出現するとされ、そのような状態である間は重大な決断をしないことが原則とされている。
それ故に著者は精神科医である兄の助言により、発症初期段階に入院・休職するという重大な決断を下した。
入院中の著者は食事摂取はできており、煙草を吸ったり散歩をしたり、入院患者同士で会話ができるレベルにまで回復はしている一方で、夜間良眠できず早朝覚醒し、朝食の時間までベッドから起きられないというまさに闘病のさなかにいた。
そのような状況下でも妻は著者の回復を信じ、問題解決とともに著者の回復に繋がる行動を、著者にはその姿を見せることなく成し遂げた。
私はこの一文を読むだけで、何度か読み返した今でもじんわりと涙が出る。

実のところ私もうつ病患者当事者であるため、著者の行動や心境に共感はできた。
また、この本を読んで再認識できたことがある。
それはうつ病患者を支える家族や仲間、医療的サポートの存在の重要性だ。
著者の兄の言葉で印象的だったものがある。
「うつ病患者というのは、本当に簡単に死んでしまうんだ。
(中略)精神科医というのは患者を自殺させないというためだけにいるんだ」
うつ病患者を死なせない、すべきことはたった一つだが、これが案外難しい。
私も以前命を投げ出しかけたが、家族や医療的サポートのおかげで今は心身ともに元気だ。
何より今の私が元気なのは、恩師の存在も大きい。
今後の人生でもおそらく辛く苦しい事はあるだろう。
そんな時は何度でもこの本を読み返すとともに、恩師から受けた幾多のご厚情を思い返し、生きる糧にしていきたい。

2022.3.31 脳筋PTかわた

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