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寄り添うこと、相手の立場に立つこと

こんばんは。

今日はまたサークルでのマネージャーの話をしてみようと思います。

私が所属しているのは合唱団なので、いわゆる偉い人は2種類います。

運営系:マネージャー(代表を兼任)や会計など。運営事務面で権力を持っている。
技術系:指揮者やパートリーダーなど。合唱の技術やステージの完成度に関わる。

私は運営系の人間ですが、主に練習運営が仕事のため、運営系の中で最も技術系に接する役職です。力関係はないとされますが、先輩からは「運営系は技術系が気持ち良く仕事できるようにするのが仕事」と言われているため、私自身はそのつもりで若干技術系に寄った立場にいます。

ただし、この二つは根本的に物の見方が違います。
顕著なのは、定期演奏会の位置付けです。

運営系の仕事は日常のためにあります。定期演奏会本番にも仕事する役職もありますが、それは目標ではありません。むしろ、日常の延長線上に定期演奏会があるわけで、仮に無くなっても完全に自分の立ち位置を見失うことはありません。

一方、技術系の仕事は定期演奏会の成功のために曲を完成させることにあります。定期演奏会は大事な(ほぼ最大かつ唯一の)目標になります。ですから、定期演奏会がなくなった場合、存在意義を疑いたくなるようです。

こういった考え方の違いは、互いに認識できるもののどうしても越えられない壁になってしまいます。今回のコロナ禍で、第一波の課外活動禁止ではなく自粛要請だった頃に練習や合宿の中止を議論した時も、先日定期演奏会を中止するか否か話し合った時も、そこの対立は埋められませんでした。

そして私は、どっちにも付けずに宙吊り状態でした。技術系と強いつながりを持ち自ら彼らが仕事に集中できるように動くことを課してきたので、彼らの気持ちは痛いほど感じていました。対面練習ができず、条件的にかなり厳しいオンライン練習を必死に組み立てていたのも知っていました。
ですが、そのせいで私の考え方は団の存続や人的心理的な安全に重きを置く他の運営系役員とずれていました。
その孤独感と苦痛、プレッシャーは、日を追うごとに耐えられないものになってしまいました。

定演の開催について団員全員で議論した際に、私は思わず「このままだと技術系に寄り添い切れなくなる。それは運営系として、マネージャーとしての仕事を果たしていないから苦痛だ」と言ってしまいました。技術系の子たちに個別にお詫びの連絡を入れたとは言え、それが今も私を苦しめています。

合唱団はコロナの打撃を最も受けた集団の一つです。結局、中止が決まりました。技術系のケアすら十分にできないまま事務に追われています。今後の練習についてはしばらく練習を休みにして話し合いながら決める方針です。

根本的に考え方の違う人たちに寄り添うこと。他の立場に立つこと。

これが、マネージャー(代表)に求められていると思うのに、できていません。
もう少し、他人の目線で物事を見られる人材になりたかったです。
この後悔は、いずれ役に立つのでしょうか。

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