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絶不調と絶好調の間

こんばんは。

以前よりだいぶ調子が上向いている感じがします。ちょっとなら(最低ノルマとして本1章分、30分〜1時間)卒論の本も読めるようになってきました。今日は余裕があるのでもうちょっと読んでみようかなと思っています。

不意に落ち込むことはあるものの、全体としては沈んでいる時間が短くなってきています。少しずつ笑っていられる時間も増えてきたし、どん底だった精神状態からは持ち直して回復してきているのでしょう。

一方で、完全復活するのが怖い自分もいます。ふとした瞬間に冷え冷えとした暗い何かが体を這っていく感覚を抱いているんです。私にしては体調が良くない時期が結構あったから、何も不調がない状態というのもまた、不安になるものになってしまいました。

でも、多分それだけじゃないんです。どこかで「調子が戻ってないからゆるゆるできる」「体調が万全になったら逃げ場がなくなる」という思いがある気がします。いわば心と体の不調は、私が卒論に多くの時間を割かないための言い訳になっているような状態です。それに気が付いてしまったら、ものすごく重くなりました。

何かで読んだことがあります。うつ病などの精神疾患を持っている患者さんの中には、後少しのところで、はっきりした理由もなくなかなか治らない(あるいは悪化する)人がいると。その理由はさまざまだけど、患者さん自身が心の中で本当は治らない方がいいと思っていることに原因があるパターンもあるらしい、と。

もちろん、私はおそらく診断がつくような状態じゃないですから、これと同じだと言いたいわけではありません。回復しなければいけないところで完全回復したくないと思っているような気がするのが、自分の中でもやもやとした塊になって鎮座しているんです。

10月には2回目の卒論中間発表があるので、それまでに教授と面談したり(正直これが難関)、構成を練り直したり、文献を読んだりしなければいけません。バイトがあったり今度はドイツ語の勉強を始めたり、教職関係のものを進めたりもします。やることはたくさんあるし、きちんとこなすためにはもっと回復して頭を使う活動にもっと時間を割けるようになる必要があります。

そして、フルでそういう活動にリソースを割くのが「当たり前」になります。休んでいる時間がもったいないと感じるようになりそうで。やっと「休む」ことを肯定できるようになりつつあるのに、それが怖いです。まだ逃げていたいのかもしれません。妹が大学受験を控えているので余計にそういうことを思うのでしょうか。

絶不調なのは辛いけど、絶好調も怖いなんて贅沢というかなんというか。ちょっと自己嫌悪しそうな状態なのでした。

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