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模擬授業の反省

こんばんは。今日はこちらの後日談。

今日模擬授業をやりました。結論から言うと、ボロボロでした。

模擬授業の記録

使ったのは『十訓抄』の中巻、七ノ六です。ざっくり内容を要約すると

嵯峨天皇の御代に「無悪善」と書かれた落とし文があった。それを小野篁が「さがなくてよし」(嵯峨天皇の「さが」とかけられる)と読んだところ、不機嫌になった帝が「一伏三仰不来待/書暗降雨恋筒寝」を読めと小野篁に無茶振り。篁は「月夜には来ぬ人待たるかきくらし雨も降らなむ恋ひつつも寝む」と読んで帝を満足させた。「一伏三仰」は子供の遊びで月夜を意味する。なおこの歌は古今集に「読み人知らず」として入っているが、不明な点が多い。

といった感じです。今回は嵯峨天皇が書き送った「一伏三仰不来待/書暗降雨恋筒寝」を現代日本語で読んでみようと言う問いだけで50分使いました。最初は漢字だけ、次に本文と注や逐語訳、辞書などの資料からの情報を集めてもらい、最後に答えを考えてもらうという形。問いと問いの間に指名して感想を言ってもらう時間を設けました。

個人的なテーマとして、古文の中にある漢文を見ることでつながりを見たかったというのと、漢詩を和歌に直したというところからさらに現代語訳へと「翻訳」していく過程を追体験してもらいたいというのがありました。

オンライン授業なので、Googleドキュメントを使って意見を集めたり共有したりしました。画面共有はそのドキュメントと事前に渡した資料(本文、注、韻文部分以外の最低限の逐語訳、「筒」に関する文章)を行き来。カメラはオンです。

で、ここからが反省です。

素材・テーマの面白さ

素材選びは評価されました。手元に古典の教科書がなかったので、手当たり次第読んで決めた素材だったのでそこは嬉しかったです。漢文・古文・現代日本語文をつなげて考えるというテーマ設定も、教授曰く「10年近くこういう(注:古典の主体的な学びに関する模擬授業を行う)授業をやっているけど、この切り口は初めてですね」ということだったので、「国文学」を専門にしている人や「大学生」の視点では楽しかったようです。

難しくなってしまう

全員から「難しすぎる」と言われました。古文も漢文も苦手な子には二重苦です。逐語訳をもう少し丁寧に解説するとか、そもそも資料の逐語訳をもっとわかるように書くとか、韻文部分だけ逐語訳しないタイプの文で資料を提示してしまうとか、最初から本文解説を始めてしまうとかすればもう少し簡単になるのかなあと。

生徒が見えない

zoomの仕様による問題なのかもしれませんが、画面共有をすると参加者の映像が全員分見られなくなります。全員を一度に見ることができず、当たり前ですが近くに行ってフォローすることもできないので、その場で進行を調整することがかなり難しいです。授業中寝ていた生徒の設定をされても、操作がわからなくなってしまった生徒がいても気づけない。それゆえに不親切な進行になってしまいました。
ワークシート(問いとワークを書いたもの)を極力シンプルにしたかったので、説明とか指示を丁寧にした方が良かったかなと思います。


ここで、そもそもの問いが出てきました。

現代語訳だけで授業をするのは良いのか

最初から逐語訳だけを配って、それで授業すれば良いのではないか、という意見がありました。個人的には、それに違和感があって、今回の教材を選んだ部分があります。確かに、日本は「翻訳大国」と言っても過言ではないくらい翻訳が盛んな国です。漢文訓読を始め、仏教教典のサンスクリット語、オランダ語や英語、ドイツ語、フランス語など、数多くの外国語作品が日本語になっています。小学国語の「スイミー」や中学国語の「少年の日の思い出」、高校現代文の「待ち伏せ」「レイニー河で」など、教科書に採録されている作品もあります。

でも、英語の授業で日本語に翻訳されたものは読まないですよね。言語習得の側面として古典日本語や古典中国語を考えることはできないのでしょうか。また、日本の文化である「翻訳」を追体験してもらうことは、現代の日本語や日本文化を理解する上で必要なことではないのでしょうか。

今回取り上げたのは、漢詩(平仄を見ると唐詩のルールとしては破格なので、古詩か漢文)を同じ韻文である和歌に翻訳した説話です。それをさらに漢字と和歌の両方から現代語に訳してもらいました。それは自分の中にある疑問を考える一つの手段でした。

考えてもらうと理解してもらうのバランス

教授がこんなことをおっしゃっていました。

「深めて掘り下げることと理解してもらうことがいかに矛盾しやすいか、授業をしてみるとわかると思います。掘り下げると理解できなくなってしまう人がいる一方で、理解してもらおうとして易しく易しくしていくとつまらなくなってしまうんです。そのバランスを見極めるのが難しいんですよね。」

今回はかなりチャレンジングな授業で、そのテーマ性を大いに評価したいという講評をいただきました。そういう面白いテーマで最初からうまくいくわけがないとも言われました。一方で、今日は生徒を置いていってしまう授業でした。模擬授業は2回目で、古典は初めて。しかも今まで履修してきた教育法はもっぱら現代文を扱っていたというのもあり、かなり大変でした。

今日模擬授業をしてしまったので、来年の春まで模擬授業をしうる教職関係の授業はありません。教育実習は主に現代文を担当するので、次いつ古典の授業作りを考えるのか見えません。ただ、次はもう少し理解してもらう方にシフトできればいいなと思います。

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