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山あり谷あり新聞奨学生体験記 Part 33「コネで就職先の紹介」

卒業まであと半年に迫った頃、社長から「何処か就職先は決まったのか?」と聞かれました。「まだです」と言うと、「まだ決まっていないのか、のんきな奴だな」と言われました。

この頃は就職氷河期と言われていた頃で、新卒の求人倍率がかなり低かったです。私の学校でも卒業式の頃で内定者は30人中10人もいなかったと思います。
同じ店の大学生も就職活動に必死で、内定を取るのは非常に難しかったです。

社長から「何処か紹介してやろうか」と言われました。就職活動が困難だったので「ラッキー」と思いました。知人が経営している会社を紹介すると言われました。
いくつか紹介してもらいましたが、選択するのに少し困ってしまう所ばかりでした。私が記憶しているのは、広島県や山口県の企業でした。私は関西か関東で就職したいと思っていたので、丁重にお断りしました。

そして次に紹介されたのは、同じ県内の建設会社でした。IT関係の専門学校に通っていたので、コンピュターを使う仕事をしたかったので、建設業だと全く分野が異なっていました。

しかし、これ以上就職活動を続けても理想の就職先が見つかる可能性は少ないと思いました。事務関係の仕事ならコンピュータを使う事が多いと思ったので、「事務職を希望します」と伝えました。

「確実に入社できるとは言えないけど、頼んでみる」と言われました。あまり期待はしておらず、「内定もらえたらラッキー」みたいな感じで待つことにしました。

私は卒業後、もしも就職できなければフリーターか派遣社員をしようと思っていました。そして、働きながら正社員の就職を探そうと思っていました。
卒業出来なかったからといって、このまま店に戻って専業員になるのは絶対に嫌だったので、残留を要請されても阻止しようと思っていました。強引に引き止めるのであれば労働監督署に訴えるつもりでした。

社長と話をして約3ヶ月後、県内の建設会社が受け入れてくれる事になったと連絡がありました。
話を聞いてみると、事務職は人手充分だったようで、社員が一人退職して人手不足になったガス関係の部署に配属予定となりました。主な仕事は、工事現場や民家のガスの配管などを行う所でした。

この時は、何処かに入社したいという気持ちでした。紹介されても面接は受けないといけないので、受けることになりました。
コネで入るので、筆記試験はありませんでした。そして面接は2回ありましたが、2回とも履歴書を見て記載事項を確認されたり、新聞奨学生ということを把握されているので仕事内容などを聞かれたりして、堅苦しい雰囲気は全くありませんでした。

2回目の面接後、配属予定の部署へ見学に行きました。そして、その部署の部長と課長から仕事内容の説明を受けました。県や市など自治体から受注の仕事が多いようで、いつも忙しい状態だったそうです。

見学を終えると役員から入社の意思確認をされました。「こんなに楽に入社できるなんて今後はないかも!」と思い、「宜しくお願い致します」と返事をしました。

そして、正式に内定が決定しました。これで学校を卒業しても店に残る事が出来ない理由が出来たので、心のなかで大喜びしました。
「3月の卒業式まで、奨学生としての業務をこなしていこう!」と久しぶりに意気揚々とした気分になりました。


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