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【ジャーナリング】攻めと守り

ジャーナリング

出てきた言葉を止めずにざっと書く
noteに残すべきか悩むけど、今これやらないと、という気持ちになったのでやる
このnoteを見つけてくれたあなた、ありがとう
ただ、あまりいい気分になることは書いてないです、すみません

ここ最近の選択で失ったもの


今まで、私自身、私本体のことをすごく大事にしてくれて、ことばにするのを見守ってくれていた人と離れよう、という選択をし、伝えた

愚痴を言うなとか怒られてたけど、なんやかんや私という存在をとっても大切に扱ってくれていた

どんなに忙しくても、ちょっとでも時間をつくって、その時間は私の存在だけに集中してくれていた

離れたらどんな変化が起こるのだろう、と思っていたけど、変化その1はまじで苦しいときに私の存在を気にかけてくれる人を失ったんだな、という感覚だった

そしたら苦しい気持ちの墓場がなくなってしまった

苦しさを感じることとそれをことばにすることは鶏と卵の関係で

言葉を吐き出せる墓場があるから気持ちが生まれていた、増幅していたのかもしれない

でも、気にかけてくれる人がいる、それだけで救われた

そもそもでお互いがお互いの話をどんな状況でも傾聴できていたのは
お互いにこの人の人生に責任をもちたいと思っていたからだ
ぼんやりと結婚という形も見えていた中でだからこそ、相手の幸せはいつだって自分ごとだった

新しい自分になるために
さよなら、しちゃったんだけどね


あなたと一緒にいる未来をつくりたい

そう思う人がいる

でも、お互いの人生、幸せに責任をもちたいって思える関係性(仮)をつくるのは、ひとりじゃできない

多くの時間を共に過ごしたり、特別な言葉を話したりして大切な存在になり、お互に責任をもつと決め、向き合い、つくり続けなければならない

いくら私だけがそう願って、できる限りの好きと愛とを表現する行動をとろうも、相手にその気持ちがなければすべて空回りする

あなたにもきっとこうしたい、こうだったらいいのに、があるのだろう
今はもしかしてそれもないのかもしれないけど

浮かばないなら、話す気も湧かなくなってきたのなら

自然と離れていってしまうのだろうか
隣にはいられないのだろうか
あんまりさみしいな

うまくgiveできない
ことばが返ってこない

そんな状態を続けたくはない


自分のした選択を正解にしなきゃって思う
「お互がもっと輝ける選択をしよう」っていうのはふたりの心の奥底から出た言葉だった

一緒にいてワクワクするあなた、私のことを好きだ、魅力的だと伝えてくれるあの子、ずっと憧れだったあの人
これから関係性をつくってみたい人はいないわけじゃない

けど

今まさに必要としている関係性とか
人からの言葉、態度に影響を受けすぎる自分の弱さを直視しようとすると、自信がなくなる


失敗だったんじゃないかって思っちゃう

要は躁鬱なんですよね

イケイケな時の自分はなんでもできる
ほんとになんでもできる


苦手な子を含めたプロジェクトミーティング
険悪な雰囲気で始まったのだけれど、耐えた、このミーティングをいいものにできると信じ続けられていた

「彼らは置いておいて、私たちの心の根っこがやりたいって言ってるのはどんなことなんだろう?」
この問いのあと、本心からやりたいこと、メンバーからポジティブなことばがたくさん出てきた
「針の穴を通す」ような瞬間ってこれだよな、と改めて思った
そのあとある一人のメンバーから、改めてありがとうと言われて、勇気を出して「針の穴を通す」をやってよかったと思った

仕事してても、短納期大型プロジェクトが急に降ってきた
「論点整理して明日までに持ってきて」と言われててんやわんやする同期を見て、新参者の私ながらにできることはないかを考えて、テーマと論点を構造化して一緒に検討した
私にはない観点、あなたが来てくれてほんとうに助かってる、と何度も何度もお礼を言ってくれた

そのほか、私は今(数えたら)本業で6プロジェクト、副業で4プロジェクトをもっている

そういえば、会社の先輩にここいらでプロマネについて本一冊買って読んだら?と言われた、読もう

脳みそが攻めモードだと、大量に入ってくる情報もすっとインストールされて、的確なコメント、フィードバックができる


集中していて、研ぎ澄まされて、意識してもせずとも現れてほしい状態にアクセスできる感覚がある

もうちょい具体で言うと、ほんと、仕事したなって自分を褒めたい瞬間がこの期間はたくさんある

人の話をよく聴き、自分の話を饒舌にでき、テーブルに上がったテーマも闊達に議論できる

これが攻めである

この状態がずっと続けば無限に楽しく仕事をしているはずなのだが、そうもいかない
問題は、これらはすべて、攻めのゾーンに入れているからこそ達成されている状態なのだということ
おそらくナチュラルな私ではない
もっと自堕落でマイペースでへにょへにょしているはずなのである


5〜10日(時により継続期間は異なる)の後、何の前触れもなく、プツンと糸が切れて
寝れなくなる、起き上がれなくなる

そして突然涙が止まらなくなる
(これはほんとに営業職じゃなくなってよかったと思うポイント。お客さんの前で泣くのはやばい。休職のきっかけのひとつ。)

私の本体が扱える思考や感情の量を完全にオーバーしたものが入ってきたときに起こる気もする

あるいは、私の中にどうしてももってしまっている「こうありたい」が著しく損なわれた瞬間にも起こる


人生むずすぎ、私は大事にされるに値する人間じゃないのだ、起きても何もできる気がしない、というかむしろ起きれる気がしない、そんな感覚が沸々と湧いてきてしまう

これが守りである


攻めが攻めであればあるほど、後からくる反動が大きい

今回攻めた内容としては、パートナーとの別れ話、復職、大詰めのプロジェクト、徐々に復活する外の世界との関わり、と盛りだくさんだった

やりすぎた

たぶん週末、てか明日から死ぬ

死ぬというのは、攻め人格は失われてただの生命を維持する何かになる
こういう生活してると人に話しかけられないってのが無理なんだけど、たぶん図らずも無視したりしちゃう

自分にリマインドしておく
このタイミングで決断する何かは絶対にいいものにならないからやめとけ

攻めてる期間って、めちゃくちゃ人とのアポを入れる
でも当日守りのタイミングと重なってしまうとまじで絶望する
明日の夜の予定どうしよう、さすがにもうリスケはできない
こんなのも繰り返しているな


とはいえ、この症状の波が穏やかになってきたと感じたから(あとまじでお金がやばくて)復職したわけだ

でもやっぱりね、躁うつに治るとかないんだなーと実感

一生治療薬と精神安定剤との付き合い続けてくのかな

治ったら攻めの自分もいなくなって、フラットな自分になっちゃうのかな
たぶん、小学校まではそうだった

中学あたりで耐えられないストレスに晒されてからはずっと、躁うつ傾向はあって
でも自分のペースで学校なんていくらでも休めるから大学まではなんとかなってた

会社は休めないんだよなーー、困った

そして、大事な意思決定はだいたい攻めの自分人格でしてきているので
攻めと守りが落ち着いてフラットになれたとして、今いる環境を活かせるレベルの自分にはなれない気がする
あのブースト感がなくなっちゃうのは怖いな、さみしいな


今週末の自分は信用しないで生きよ
やり過ごすのである
おやすみ世界

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