見出し画像

家族の在り方について考える。所詮は他人。

家族とは最初の小さな社会だ。
そのため、家族によって違ったルールが存在する。
よそはよそ、うちはうち」という言葉にもそれが顕著に表れている。

家族も他人

家族は、血の繋がっている者同士で形成されることが多い。
そのため、個々人が別の人間(他人)だとの意識が薄れる。

例えば、親は子供が言うことを聞くのは当たり前だと思っている。
そして、いつまで経っても親にとって子供は子供のままだ。
酷い場合には、子供を自分の物として扱う親もいる。

人間、テリトリーが近すぎると衝突が起きやすい。
体の距離もさることながら、心の距離もそれにあてはまる。

特に母親は、自分の子供が約1年もお腹に入っているのだから、自分の分身として錯覚して捉えてしまうのも無理はない。
しかし、子供は子供で人格があり、一人の他人なのである。

「言わなくてもわかってくれる」は暗黙の了解で起きがちだが、誰でも、その人にとって「わかりやすく言わないと伝わらない」のだ。
伝わらないからと言って、怒ったり、無視したり、最悪叩いたりして暴力に訴えるのはいけない。

上記のことを考慮して、居心地の良い家庭というものを考える。

居心地の良い家庭とは

その人個人の居場所が確立していることが前提だと考える。
それは、物理的にいうと部屋がないにしてもいられる場所があったり、精神的に言うと、一緒に住む者がその人の存在を認め、尊重したりしていることである。

夫と過ごしてわかった居心地の良さ

他人と住むことは大変だ。
性格も、生きてきて培ってきたことも、同じとは限らないのだから当たり前だ。
個性と個性のぶつかり合いである。

一人暮らしをしていた私は、他人と住む大変さを忘れていた。

夫と住むことになってから、何回も喧嘩して家出をしたことがある。
「なんでわかってくれないの?」そう思っていた。

足りないことや嫌なことばかりに目を向けて、夫そのものと向き合うことが出来ていなかったのである。
何回か喧嘩したのち、なんでこんなに喧嘩するんだろう、と考えた。

まずやったことは、自分を理解することである。
自分は何が嫌なのか、ぼんやりと考えていたことを書くことによって明確にした。

そして、夫を理解することである。
喧嘩の原因を思い出して、夫の特性や嫌だと思っているだろうこと、夫がいてくれて助かっていることや、してくれてよかったことなどを箇条書きにしていった。

人間はないものねだりをする。
慣れてしまうと、現状あって満足することも見えなくなってしまう。

書きながら私は泣いていた。
こんなに私は夫から大事にされているのに、当たり前だと思っていたことに気づいたからである。
しかも、自分がなぜ怒ったか説明できていなかった。
喧嘩を繰り返すはずである。

色々理解できたところで、夫に手紙を書いた。
今までの謝罪と、好きなところ、これからどうしていきたいか。
私がどんなパターンで怒るか、その場合どうして欲しいか。

夫は黙々と手紙を読んでいた。
「わかった」とだけ言った。

それから喧嘩をしても、お互いのパターンがわかったことで、時間を置いて仲直りするようになった。
怒ったら、怒った理由をお互いに言うようになり、不満を一つずつ解決していった。
私は家出をしなくなった。


居心地の良い家庭とは、お互いの擦り合わせで作られていることが、よくわかった。

私が育った家庭

※ここから先は、トラウマが混じっているので、そのような話が嫌な人はそっとページを閉じてほしい。

私は正しい家族の在り方を知らなかった。
当たり前だと思っていたことが、世間でいう家族とは少し違っているようだった。

精神科の先生は、「私の家族は家族として成り立っていない」と言った。
今度、「正しい家族」を教えてくれるらしい。

私は田舎で育った。
だから、年配者の言うことは絶対だ。
暴君と言われる祖父が一番偉かった。
逆らうことは許されなかった。

一緒に親と遊んでいても、メガネに手が当たると、烈火のごとく怒られた。
それまで一緒に楽しく遊んでいたのに、なぜかわからなかった。

子供は怒鳴られると思考が止まる。
怒られたことだけが頭に残り、なぜ怒られたのか覚えていないことも多い。

そのため、子供の時の記憶は怒られたことばかりである。

怒られると物が吹っ飛んできた。

普通のコタツテーブルをちゃぶ台返しする祖父。
気に入らないと怒鳴り、私を吹っ飛ばす父。
夜な夜な喧嘩する父と母。
周りができることを普通にできない私を責める祖母。

味方はいた。
曽祖父だ。
だけど、私が幼い頃に死んでしまった。

それから世界は変わってしまった。

怒鳴り声が聞こえる家が普通だと思っていた。
怒鳴られるのは、どんな理由でも私が悪いのだと思っていた。

過干渉なのに、放任。
その時の保護者の気分によって変わる対応。
同じことを言っても、気分によって褒められたり怒られたりする。
どれが正解なのか、わからなかった。

大人になった今だからわかる。
私の家庭は、みんな少しずつ辛い思いをしていたんだと思う。

でも、そんな理由は子供の私にはわからなかった。


おわりに

私が育った家庭についてはいずれまた詳しく書いていこうと思う。

家族はいて当たり前ではない。
いずれいなくなってしまう。

その時のことも考えつつ、家族は他人だということも考慮しながら、今この瞬間も家族を大事にして暮らしていきたい。

この記事が参加している募集

いつもサポートありがとうございます。 頂いたサポートは、医療費として使わせて頂いております。 感謝です、あなたにしあわせがふりそそぎますように…**