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forget me not.


勿忘草のイラスト。タイトルは花言葉。
翻訳すると"私を忘れないで"
漢字そのものの花言葉。

人生には私を忘れないでいて欲しい、と思うことと同時にもう忘れて欲しいと思うことも同じくらいある。

まだ30年も経たないくらいしか生きていないが
わたしが一番忘れたくないものはだと思う。
今日はそのことについて話そう。




恋愛においての愛ってなんだとよく思う。
この正体がわかればどれだけ楽なのか。
でも正体がわかってしまったら
思いの先のネタバレになってしまう気もする。

人のことを好きになり、愛した経験があれば
愛を与えたことも貰ったこともあるだろう。
その愛を貰った経験があるから独りの時に
寂しさや悲しさ、人の温もりを感じたいと人は思うのでは無いだろうか。
人を好きになった時、等しい大きさの気持ちが欲しくなるのもまたそういうことではないだろうか。

実際、愛を知らないでいたらもう少し気持ちが楽で、人のことを思って苦しみ、もがいたりすることはない。
でもそれはきっと、少し淋しい人間だと思う。

だったらこの表現の仕方なんて下手くそでいい。
人間味溢れる、真っ直ぐなままに目一杯の気持ちを伝えたい。
それが異性であろうと同性であろうと
恋として好きな人であろうと友達であろうと
嘘偽りのない自分でいたい。

だから回りくどい話をしたり
駆け引きをしたりすることがわたしは苦手だ。
隠し通せない性格のせいで損をしたことだってある。
かと言って、いざ人を目の前にすると
ドスレートに好意を伝えることには怯む。
ただ、想い人が目の前にいてはっきり好きを伝えることができることが正とは限らない。
照れたり笑ったり、恥ずかしさで少し違う話を挟んでみたり、こういう表現がある方が人間らしさを感じる。

深く難しいのだ、愛のある表現というのは。


じゃあ独りの時、寂しさを埋めるにはどんなことをすればいい?

わたしは根っからの外向型のようで
家に閉じこもるよりか、外の世界に率先して行く。
ずっとずっと一人で自分という殻の中に
閉じこもっていたとて、何も解決がしない。
知っている落ち着く場所に行くでもいいし
知らない景色を見に行くのでもいい。
そこで刺激を受けて新しい気持ちを取り入れる。
その場所へは友達と行っても一人で行っても良い。

でも寂しさには人それぞれの乗り越え方がある。
無理矢理外の世界に行っても疲れるだけなら
家の中で好きなことをして過ごすことだって
立派な乗り越え方だと思う。
ひたすらに寝ることだって自分の
身体を労わろうと思うからできることだと思うし
涙を流してデトックスすることだって
自分の心の整え方ですと堂々と言えることだ。

外の世界で刺激を受けることも
内の世界で心身を休めることもどちらも
それは、自分が自分に与えられる愛なのだ。

では、愛についての
好きな歌の話を最後にする。


私を愛せるのは私だけ

ケセラセラ / Mrs. GREEN APPLE


Mrs. GREEN APPLEのケセラセラ
自分を見失いそうになる度に
この歌にこの歌詞に救われている。

恋愛でも日常でも
どんなに辛いことがあったとしても
向き合うのも乗り越えるのも全部自分。
そしてそれを頑張ったねと一番共感し
抱きしめてあげることが出来るのも自分。

生きているとこれで正しい選択だったのかと
わからない道にやってきてしまうことがある。
もしかしたら、その道がたまたま明かりのない道だっただけかもしれない。
それならば進む度に自分で明かりを灯したことにしよう。

この人のことを好きになってよかった?
と後悔した時、最後は良かったと思いたい。
今すぐにじゃなくて、もっともっと
年老いてからそう思ったとしても良い。
思いたくないなら気持ちをかき消しても良い。

それが自分の心への赦しで
想った人へ与えられる最後の愛だと思う。



結局、恋愛における愛は正解も不正解もない。
いつの日か不正解だと思ったものが正解になったりする。不思議なものだ。
まあ、終わりのないものについて考え、話していたって仕方がない。
想い人がいるなら、今ある感情を大切に育む。
これから出会うというなら、自分と向き合い自分の味方になっておく。

愛って何だ?
恐らく、自分流。これでいいのだ。


me.

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