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私と自然

家を出た瞬間に出会う、空。空を見上げるのは私の毎日の日課です。空はその日1日の私の気分を左右させます。雲一つない快晴の日は気持ちが良いですが、空の広さを感じて少し寂しさを覚えます。雲のある夏の晴れの日は、力強い積乱雲が生き生きした気持ちにさせてくれます。雲のある冬の晴れの日は、柔らかい雲と淡い空の色が私に優しい気持ちを与えてくれます。曇りの日はもちろん気分は落ち込みます。ですが毎日空が生き生きしてしまったら、私は空を見ることを毎日の日課にはしないと思います。なぜなら私が気持ちに波があるように空も天気に波がないと、気持ちの共有が出来ないからです。天気に晴れ曇りがあるからこそ、人間の感情に波があると思っています。晴れ曇りだけでなく、曖昧な天気があるからこそ細かい自分の心情に気付くことが出来ます。気持ちの沈んでいる時、晴れている空を想像してみて下さい。広く生き生きしている空に包まれてる自分を想像すると自分がちっぽけに感じませんか。もっと広い視野で物事を捉えようと思わされます。そんないつでも温かく広い空が私は大好きです。
家を出て空を見上げて次に視界に入る、木。木も様々な表情を持っています。そして私は自分の変化とも重ねています。春、家の前の桜の木が満開になります。新芽から桜の花びらが咲くように、新たな環境で自分も頑張ろうと思わせてくれます。散って、地面に落ちた花びらが茶色へと変化して街から消えて、それと同時に生き生きとした緑の葉と空の青さが元気に張り合いをします。そんな姿を見ると私は勇気が出てきます。私ももう少し頑張らないと思わされます。夏になり葉が茂り、セミが鳴き始めます。目に写るもの全ての色が濃くなり、自分の意思を明確にさせようとします。暑さが落ち着き、葉の色も落ち着くと自然と自分の心も落ち着きます。悩む時期となります。考える時期になります。乱れそうな心を赤色や黄色が私を穏やかな気持ちにさせてくれます。そして様々な変化遂げた葉は地面に落ちて、木は全て脱がされて裸になります。自分の本質と向き合うことになります。結局自分の根本は変わらず変化していくのは周りだけなのです。まるで自分の変化を見ているような木は私にとって大切な存在です。
私と自然は一心同体なのです。