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一次情報を語れるように

せっかくの三連休なのに、ほとんど外に出れずにモヤモヤ。
その代わりに本を読む時間、子どもと関わる時間が増えて、まぁそれはそれで良かったと考えたい。
トレードオフですね。

この三連休でよく考えたことをまとめておきたい。頭の中をグルグルと何周も何周もした。そのきっかけをくれたのは書籍「考えて、考えて、考える」での藤井龍王と丹羽氏の対談での一幕である。

丹羽氏が、藤井氏に「他人が語ることの大半は、二次情報だ。藤井さんには、一次情報にアンテナを張って、感性に磨きをかけてほしい。」
このような感じのことを話していた。

一次情報とは何か。
情報源となる独自の情報や公的機関が発表する情報など。

二次情報とは何か。
人から見聞きした情報や一次情報をもとに編集された情報など。

丹羽氏が言う、他人が語ることの大半は二次情報だ。というのは、ノウハウコレクターのことを指すのではないかと私は考えた。

◯◯をすれば、△△が治る
◆◆をすると、〜〜に効果がある

などである。

例えば、早起きは成功者の秘訣、アイディアはお風呂やトイレのときに浮かびやすい、などなど。

これらは大体は二次情報(ノウハウ関係)ではないか。

このような話にも、型と言われるような、不易な内容もあると思う。

でも、これらを語る人は、やはり薄っぺらく感じてしまう。聴く耳を持とうとは思えない。

誰かが話していたことを、二番煎じ、三番煎じした内容は、どこか信憑性に欠ける。
伝言ゲームのように、事実がどこかで歪められてしまうことが多い。
切り取りになりやすく、前後の文脈が足りず、その切り取り部分だけクローズアップされてしまう。

だから、二次情報ではなく、一次情報を獲りにいく必要があると私は考えている。

一次情報の1つの要素に「私」があると思う。

私が体験した、経験したことは一次情報になり得る。

出発点が「私」であること。

私が何かを創り出し、事実を作る。
私が感じたこと
私がこのように行動したら、結果こうなった。

これらは一次情報となるのである。

少し乱暴に一次情報と二次情報を分けるとしたら下のようになるのかと私は考える。

生産側と消費側
主観と客観
固有と一般

繰り返しになるが、二次情報には型のようなものがあって、不易なものも含まれる。だから、もちろん二次情報が悪いとは言っていない。

ただ、一次情報に目を向けると、ベクトルが自分に向きやすくなるのではないかということ。
話している側で言えば、自分をスタートにしたことを話す。

聞いている側であれば、その人自身の体験、経験かを見極めることである。登場人物は、基本は話している人と自分だけである。誰かがこう言っていたというの挟んだ時点で二次情報である。

真理はいつでもシンプル。

他に変えの効かない、自分しか話せない、語れないことがどれだけあるのだろうか。

一次情報にフォーカスすると、自分の人生を生きている感覚が取り戻せる。

7つの習慣でいうなら、「主体的であれ」

気を抜くと、口に出している情報の大半が
「テレビでこう言っていた」
「ジャニーズの◯◯がこう言っていた」
「ネット記事で健康になるために◯◯を食べるといいって書いてあった」
ということに染まりがちである。

一次情報と二次情報のどっち?
と言う時点で、頭を働かせると、見える景色が変わるかも。

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