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同調圧力と諦めと妥協

以前住んでいた、ある地域。結婚してもほとんどの女性が働いていました。

しかし、この地域の人達は、「働き者ではない」とされているなど、矛盾した点も多々ありましたが(笑)。

働く人は多いけれど、その働きぶりが、問題なのでした。

学校の先生が、「お母さん、働いていない人、手を挙げて」と言います。

すると、このクラスで手を挙げたのは、私ともう1人の女子の2人だけでした。ちなみに、この女子のお母さんは、病気でした。

早速、私にこう言う人が出てきました。

「あんたのお母さん、怠け者じゃないん?」

閉鎖的な地域で、「お母さん、働いています」とウソをつける環境ではありませんでした。

病気のお母さんを持つ女子まで、非難されていました。精神疾患でした。

彼女のお母さんは、病気であるが故に、あらゆる面において、彼女に皆と同じようにさせてあげる環境を整えることが困難でした。

彼女はこの地域の出身者でしたが、息苦しい地元を嫌っていました。

皆に仲間外れにされていた彼女と、よそ者の私は、とても仲良しでした。

すると、わざわざ彼女のお母さんの病気のことを私に知らせに来る子がいました。「○子のお母さんは、狂っている!こんな子と付き合うなんて」と。

それを目の前で見ていた彼女は、怒りで震えていました。

勝ち誇ったように笑う報告者に、大人しい彼女が、珍しく反撃します。

私は、この点は譲りませんでした。誰と付き合おうと、私の勝手です。

この地域では、皆が出来るだけ「同じであること」が強く求められました。

正確には、「皆と同じように見える」ように振舞うことが求められたのです。私を含め、よそ者の子供達は、苦労していました。

よそ者の子供がいじめられても、学校の先生は「皆と同じように振舞うことができない、あなたが悪いのだ!」と言い放つ始末でした。

子供だけでなく、母親の労働の有無までが、攻撃の材料になるとは・・・。

「皆にいじめられるから、お母さん、働いて!」などと言うのも変な話で・・・。そもそも、よそ者の母が働きに出たところで、職場で嫌な思いをするのは目に見えていました。

この地域の人達は、修学旅行を除いては、この地域を出ることなく一生を終えるのが大多数とされていました。よそ者の文化など受け入れる気は、さらさらありません。

恐ろしいほどの同調圧力を目の前にして、幼くして「諦めと妥協」という概念を骨身に刻んだ私。戦うには、あまりにも、若すぎたのでした。


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