臨床における意思決定と慣性の法則-第3回:臨床的惰性の原因とその帰結
地域医療ジャーナル 2021年11月号 vol.7(11)
記者:syuichiao
薬剤師
前回の記事では、糖尿病や高血圧の薬物治療を例に、臨床的惰性の実態についてご紹介しました。いくつかの文献報告を紐解く中で見えてきたのは、多くの疾病について診断が可能となり、薬物治療の選択肢が多様化した現代医療の発展と、臨床的惰性の顕在化が密接に関連している様相でした。
医療の役割が、対症的な治療に重きを置いていた時代から、潜在的な健康リスクの予防管理に重きに置く時代へと移り変わる中で、良くも悪くも様々な身体症状が医学的問題として取り扱えるようになりました。現代医療において実際に治療を開始するタイミングの多くは、病状が進行しているという状態というよりは、生活レベルにおいては未だ健常な段階にある状態と言えるのかもしれません。目に見える心身状態に異常が少ないからこそ、治療の開始判断には強い心理的負荷がかかるのだと思います。今回の記事では臨床的惰性が生じる原因について、より多面的に考察したうえで、臨床的惰性がもたらし得る健康リスクについて論じます。
【臨床的慣性が生じる原因】
臨床的惰性は様々な原因によって生じますが、医療者に関連した要因、患者に関連した要因、そして医療システムに関連した要因に分けることができます。これら3つの要因の中でも、医療者に関連した要因が占める割合は50%と最多であり、次いで患者に関連した要因が30%、医療システムに関連した要因が20%ほどであると考えられています【1】。
①医療者に関連した要因
医療者に関連した要因として、処方医が薬物療法の効果を過大に評価している可能性は示唆に富みます。外来診療を担当する医師585人を対象とした米国の研究【2】では、ワルファリンの脳卒中に対する効果、降圧薬の心血管イベントに対する効果、ビスホスホネート製剤の骨折に対する効果、スタチンに心血管イベントに対する効果を、エビデンスで示されている効果よりも過大に評価する傾向があったと報告しています。
このことはまた、本来は効果が小さすぎて臨床的にはあまり意味のない薬が、積極的に投与されることにつながりかねません。いわゆるポリファーマシーの原因となっている側面もあるでしょう。ポリファーマシーという概念を臨床で起こっている現象の一側面と捉えれば、臨床的惰性も、同じ現象の一側面なのかもしれません。少なくともこの2つの概念は密接に関連しているように思います。
その他、医療従事者に関連した要因として診療時間の短さ、仕事量の過負荷、診療ガイドラインや最新のエビデンスに対する知識の欠如、治療目標を明確に設定していない、有害事象に対する懸念、予防的治療よりも対症的治療の重視、患者さんとのコミュニケーション不足や、患者さんの医療ニーズを把握していない、治療を強化することによる患者さんの管理能力に対する懸念などをあげることができます【3】。
【参考文献】
【1】Clinical Inertia and Outpatient Medical Errors(https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK20513/)
【2】JAMA Netw Open. 2021 Jul 1;4(7):e2119747 PMID: 34287630
【3】Adv Ther. 2018 Nov;35(11):1735-1745. PMID: 30374807
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