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アーユルヴェーダの世界に飛び込むまでの話2【仕事もできて自由もあった時代】

前回の続き
https://note.com/mck_ayurveda/n/nc39383b5283e
※この記事は2018年に別ブログにて書いたものをリライトしています。

ディレクターに出世する

見事、5年のアシスタントディレクター時代を乗り越え、ディレクターになったスミヨシ。

それは人に認められたくて必死に努力をした結果でしたが、実際は褒められても認められても、まだ満足することは出来ませんでした。

ディレクターになったら最後、上も下もありません。上手く出来ればそれでOK!会社に所属していても、しょせん個人のスキル次第。人気商売なんです。

だから、めちゃくちゃがんばらないといけない世界にきたんだと思いました。

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業界御用達「金兵衛」の焼き魚弁当を食べて収録に備えるマチコ


ディレクターの仕事内容はいろいろある

そして実は、ディレクターと一言にいってもいろんな働き方があります。番組のタイプによっても全然違う。

例えば、ロケだけの番組だとロケするディレクターが編集もして、そのままオンエア用を作る、ってこともありますね。

でも、私がやっていた「世界まる見え」のようなスタジオ収録+VTRとなる場合は、

「VTR部分だけを編集するディレクター」と

「VTR+スタジオ部分を編集してオンエア用にするディレクター」

が必要です。(もちろん、兼任作業もあります)


VTRだけを作るディレクターは、サブ上げディレクターとか言われます。

サブ上げのサブは、サブコン=副調整室のこと。前回の記事にも出た、スタジオの様子をモニター越しに見るところね。

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副調整室(ふくちょうせいしつ)は、テレビ、ラジオなどの放送局における各種スタジオに設けられる機器類を操作するための操作室のうち、放送を送出する「主調整室」(マスター・コントロール・ルーム。簡略化して「マスター」)と放送用の回線が接続されている、番組制作用機器を操作し、音声、映像等を調整するための操作室をいう。サブ・コントロール・ルーム、簡略化して「サブ」もしくは「サブコン」と呼ばれる、番組制作の中枢である。
Wikipediaより:https://goo.gl/KPcFUE

そして、サブコンはたいがいスタジオの上にあるので、サブに上げるって表現をするわけ。で、VTRはそのサブコンから出す(送出する)んで、サブ上げって呼ぶんですね。


出世して趣味の時間が持てるように

スミヨシも当然、まずはサブ上げディレクターとなり、VTRを編集するのが仕事になりました。

で、そのサブD(通称サブディー)をやりながらフロア(前記事参照)もやり続けます。なんなら、たけしさんの衣装係も引き続き。

まあ、ノリにノッてますよね。で、こうなります。

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めちゃいかつい指輪とかしてますね

犯罪犯したら絶対に同情されなさそうですけど、ちゃんと誕生日祝ってもらってますからね!スタッフには愛されてるんでしょうね!(たぶん)

ちなみに、おばあちゃんのお葬式も金髪だったと思います。

こうなった理由は一つ。

実はディレクターになって少し時間ができた私は、好きだった音楽鑑賞を復活させまして。

そもそもADと言うのはディレクターについているんで、ディレクターのスケジュールに左右されて、休みが取れたとしても前もっては分からなかったりするんですよ。

でも、サブ上げディレクターになったら編集所での作業日や、チェックの日や収録日以外は、自分だけで作業を進めればいいので、割合自由な時間が持てるようになったわけです。

で、今カッコいいのは何かなーとCDを見に行ったとき、タワレコで目に入ったのがコレでした。ミッシェルガンエレファントのチキンゾンビーズってアルバムです。

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あまりに人相が悪くてビビったんですけど、買って聞いてみたらめちゃくちゃカッコよくて。超ハマっていきました。

でも、ライブには行けなかったんですよね。ちょっと怖そうで。笑

でも、うっかりギターウルフって言うゴリゴリのガレージパンクバンドのライブにたまたま行ってしまい、いろいろ吹っ切れて、ミッシェルを追いかけてどこまでも行く!そんな人になりました。

※ギターウルフとの出会いはこちら
https://ameblo.jp/manas-ayurveda/entry-12398025023.html

その流れで、当時熱かったガレージパンクにもハマって行きました。下北や新宿のライブハウスはもちろん、京都や大阪、西宮のバンドを見るためにめちゃくちゃ遠征しまくりました。

ギョガンレンズ
ニートビーツ(大阪)
ガソリン(四日市)
ちぇるしぃ(京都)
キングブラザーズ(西宮)

ギョガン以外、みんな西のバンドです。

例えば、京都で19時からのライブを見るために4時の新幹線にのって京都磔磔へ。終わった後、夜行バスに乗って東京へ。朝10時からの編集をこなして、再び夕方、新幹線で大阪へ。

けっこうな頻度で関西のライブに顔出してるので、途中まで関西の人だと思われてた頃です。

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完全にふざけてます


仕事の緊張感をライブで発散

そんな風に遊びまくってた私ですが、ディレクターとしてはちゃんと働いてました。

なんといっても、AD時代に尊敬するディレクター陣の元でたくさん勉強させてもらっていたので、望まれる正解を出すのがうまかったんです。

仕事では成果を出すことに完全にフォーカスしてたんで「遊びながらもちゃんとやる人」をブランディングしてました。

それもあって、こんな髪型でも怒られたことなかったなあ。

そのうち、夕方いなくなると「あいつ、今日ライブか」と察してもらえるようになったしね。笑

一方で、こうやってライブに行くことを楽しんでいたのは、私が仕事場では常にできる人でいようと気が抜けずにいたからじゃないかと思うんですよね。

当時の私の信条は「男は敷居を跨げば七人の敵あり」

職場は戦場!周りはライバル!弱味を見せたら負け!!

そういう風にずっと考えてたから緊張感がハンパないんです。ライブは、それを忘れて自己解放できる場所だったんですよね。

実は私、ライブで初めて「我を忘れる」ってことを体験したんです。ギターウルフを初めて見た時や、ミッシェルで気づいたらダイブしてた時、自分の思考は1ミリも働かず無我夢中でした。

ずっと頭を使って生きてきた私には、それは、ものすごく新鮮な体験で。その開放感があったからこそ、仕事もがんばれる!

ライブはいつの間にか、仕事でがんばるためのエネルギー、欠かせないものになっていったんです。だから、そのバランスが取れていたこの頃は、めちゃくちゃ勢いがあったんじゃないかな。


そして、そんな風にノリにのってた私は思わぬタイミングで出世します。一番最初に書いていたディレクターの種類、見直してくださいね。

サブ上げディレクターから

「VTR+スタジオ収録部分を編集してオンエア用にする」

通称:スタジオDになることになったんです。確か30歳になるときでした。

続く


※2020年の私


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