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つぶやき

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#サッカー

サッカーの守備における、逆サイドの選手の「絞る」動きを、英語ではPivot downと表現。後者のほうが組織として守るという意味合いがあっていいと思う。自身をある図形の一点として捉える。

自分のあるプレーを見て「そういうプレーができるようになりたい」と言われた。個人的には理想のプレーそれ自体があるわけじゃなくて、ある状況を解決するための手段としてそういったプレーに自然に落ち着くと思ってる。

実況が「パス回し」という表現をよく使用する。これは良くないと思う。

サッカーに対してフットサルの方がバスケに近い感覚ではあるけど、ボールホルダー(特に後方の位置での)に与えられてる時間・スペースはサッカーの方が多いことを考えると、もっとサッカーにおいてもボールに対して間接的なアクションが増えてもいい気がする。

バスケは全員の視線がボールに向いてるわけじゃなくて、次にパスを受ける人をフリーにさせるような動き、ボールを持っていない人同士のリンクアップが多い。手でボールを扱う分、ボールホルダーが比較的キープできるのはでかい。受け手が出し手の状況に左右されづらい。

女子のフットサルの試合をネットで観ていた。

男子よりも女子のほうがゲームのコンセプトやそれに伴う規範に対して身体の使い方、動き方が自然に感じる。

力でどうにかできてしまう人とそうでない人との違い。

フットボールを長い間してきて思ったのは、まず自分の内側に自由がある人と、外部の規範が内面化されてぎこちなくなってる人がいるということ。

前者は後にチームスポーツによる規制によってもう一度自由を定義をし直すだろうし、後者は自由を取り入れる、規制からある程度脱することを意識する。

英語圏のサッカー動画を見ていると、ある現象、形にどんな単語、表現を当てはめているかに敏感になる。

その言葉が持ってるイメージが見えてくる。

ピッチにサッカーを知らない22人を放り込んで延々とプレーさせてみてもおそらく4-4-2、3-4-3といったフォーメーション、秩序は生まれづらいと思う。

対して、フットサルの場合は局所的によく起こる形(2vs1の崩しなど)が連続することで全体のシステムの形成に大きく関わってくる。

気持ちよくフットボールをプレーできている時って、我から離れて、かといって献身的になるわけでもなくて、自分という主体がピッチ全体に拡げられる感じ。