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牧師夫人の徒然なるままに(七六〇) 「達成感と心の隙間」(その2)  

 大きな仕事を達成した後に襲ってくる、虚無感や無力感は、偉大な預言者たちも経験しました。
第一列王記一八章 、一九章には、預言者エリヤの経験が書かれています。彼は、カルメル山で、バアルや、アシェラの預言者たち約千人を相手に、まことの神の預言者として一人で対決します。「主よ。あなたがイスラエルにおいて神であり、私があなたの僕であり、あなたのみことばによって私がこれらのすべての事を行ったということが、今日、明らかになりますように」とエリヤが祈りを唱えたその結実の勝利でした。偉大な創造主にすべてをより頼んだ結果示していただいた大勝利でした。
ところが彼はその大成功の後、アハブ王の報復を恐れて逃れ、死を願うほどに絶望の淵に立たされます。「主よ。もう十分です。私の命を取ってください」と。
偉大な天地万物の創造主の全能のわざを体験した直後なのに、彼は邪悪な一人の人物への恐怖でおののいているのです。
イエスさまの時代にも弟子たちは同じような経験をしています。四千人、五千人もの人々に食事をふるまわれた奇跡の出来事を目の当たりにしても、その後、彼らは小さな恐怖に襲われた時に、目の前にいる偉大な主の御力を忘れてしまって怯えたのです。(続く)

安食道子

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