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牧師夫人の徒然なるままに(七三五)  「人は地の塵から神のかたちに造られた」(創1、2章)

 最近、私の習い事仲間の一人が、お辞めになりました。その時に先生がふと漏らした言葉は「私が何か悪いことをしたのかなあ」でした。
 ネット社会では、〇〇さんが落ち込んでいるとか、病気になったとか、ご家族がどうしたとか、瞬く間に情報が共有される時代です。そして多くの人が自分とその人との関りを振り返らされるのです。
 面白いことに、私たちは仲間の誰かが元気をなくすと、思わず「私が何かしたからかしら?」とまず自分が加害者ではないかと振り返ります。
 また、何か称賛に値することを成し遂げると「私の中にもこんな賜物があったのだ」と喜びます。
 私は自分の人生を振り返ってみて「きっと私が罪を犯しているからだ」というどん底と「私は創造主に愛されて尊ばれて生きている」という有頂天の間を行ったり来たりしつつも、それらすべてを糧にして少しずつ成長させていただいてきたように思います。
 今年に入ってから、また、創世記からの聖書通読に挑戦しています。一章、二章と「人の創造」について記されている記事を読みながら、創造主は何とすごい方だろうと思いました。人は塵から作られている故の謙遜と、創造主の似姿に造られたという誇りを、創造の時から併せ持って生きてきたのです。

安食道子

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