究極の選択と私の考え方

アナタが乗っていた客船が沈没し、極寒の海に救命ボートで逃げ出しました。救命ボートには定員ピッタリの6名が乗り、救助がいつ来るか分からないまま漂流が始まりました。ところが一人が病気に罹ったようです。病気のメンバーを乗せていれば全員病気に罹る可能性があります。

【パターン1】アナタが病気になった場合 
【パターン2】アナタが病気になった、かつ守るべき人物が
いる場合
【パターン3】メンバーの一人が病気になった場合
【パターン4】メンバーの一人が病気になった、かつ
守るべき人物がいる場合
【パターン5】アナタの守るべき人物が病気になった場合

あなたはどうしますか?選択肢はいくつかあります。そして正解なんてありません。考え方はたくさんありそうですね。

例によって私の見解です。こういう問題に正解は無いです。陳腐ですが自分がちゃんと考えて、納得して選んだなら「もう、全部正解!」というところ。

この問題が難しいのは自分単独なら自分だけの割切の問題ですむのに、他のメンバーにも納得感を持ってもらう必要があることでしょう。往々にして難しい問題、なおかつ絶対の正解のない問題ってのは自分の領域にも他人の領域にもまたがっていることが多いです。当然に全体を見渡す必要があるわけで、私の場合はその基準が「全体利益の最大化」になっています。この問題、私にとっては全体利益を減少する可能性がある事象にどのタイミングで個人利益を削って対処するか?というのが背景にあるテーマでした。

答え:私の大前提は「メンバーの意志を確認すること」です。正解が無いくらい悩む問題とはウラを返せばどれを選んでも大差ない問題です。
だったら、すばやく結論を出す効率性を求めたいところですが、今回はそれよりも納得感が大事かなと思いました。
明確な正解が無いならば、その中でメンバーの多数がなるべく満足できることがせめてもの全体利益の尺度になると思うからです。
結論も大事ですが、結論に至る過程でなるべく皆の納得感が得られるように努めることが私の正解でしょう。

●パターン1、私が病気に罹った場合は皆に判断を委ねます。
「感染させる可能性があるが残って良いか?」
残って良いと言う明確な返事が得られなければ仕方ないので
飛び込むでしょう。(南無)

解説:やはり、私はあっさりと自己犠牲になれる「正義の味方」ではないので一応、自己保身として助かる可能性の打診はしたいところです。実際にあっさりと飛びこめるかどうかはその場になってみないとわかりませんが。

●パターン2、同乗しているメンバーに自分の守るべき対象が
いる場合は何も聞かずに飛び込んどきます。

解説:私の愛情は全人類に満遍無くではありません。身贔屓があります。(南無)

●パターン3、メンバーの1人が病気になった場合も
やはり本人を含めた全員に意見を聞きます。

解説:締切時間を切っても、全員が結論を出せない場合は私が結論を下します。「降ろせ」という強い反対が多ければ気の毒ですが、自分の責任で降ろします。(南無)「お前だけを死なせはしない」とか言って責任を持って一緒に飛び込む事は私自身はしません。責任は最後まで生き延びてとるべきでしょうから。(私がいなくなることで何が事態が良くなって全体利益が増えるなら検討はしますが)
「降ろせ」の意見が出なくて、病気の本人が残りたいという強い希望を出しているなら残します。両者、意見が出ないなら残します。無論、感染の可能性は上がりますが結論を出せないなら仕方ない。

●パターン4はほぼパターン3と同じですが、最後の両者意見が出ない場合には降りてもらう点が違います。(南無)

●パターン5は徹底抗戦でしょう。

解説:交渉から入り極力穏便に残すことを提案しますが、決裂したら考えうる手段を使って他のメンバーを排斥してでも守るべき人物を残そうとするでしょう。明らかにエコ贔屓です。返り討ちにあって、降ろすことになったら私も降りて守るべき人物を背負って泳ごうと足掻き一緒に水没。(南無)
まあ、守るべき対象に優先順位を絞ればこうなります。やはり、私は正義の味方になれそうもありません。(笑)それでも「死なばもろとも」だけはやりません。全体利益が最も低くなるからです。


CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。