『ハサミ』は愚かか真っ当か?

怒り”は真っ当な感情!? ブッダからツイッターまで「怒りの歴史」から日常生活の怒りとの向き合い方を考える!
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「怒り」は愚かなことなのか、それとも真っ当な感情なのか。という問いかけがあるようだが。

結論から言えば「怒り(感情)も手段(道具)の1つに過ぎない」ので、そもそも「愚かとか真っ当とかじゃなく用い方次第」というのが正しいと思う。

たとえば「『ハサミ』は愚かか真っ当か?」と問われたら戸惑う人が多いのではなかろうか?ということだ。正しく用いれば真っ当だし、愚かに用いれば愚かである。要は「用い方次第でしょう」としか言いようがないのだ。

全否定、全肯定されるものじゃないのだ。

他人や環境など「自分の領域外」に対する怒りは「どうにもならない自分の領域外をどうにかしようとすることから生ずる怒り」である。

たとえば親でも子どもの人生について全ての責任は負えないし、負おうと思うべきではない(大概親は子供より先にいなくなるので子供が自立自活できる能力を与えるべき)。できないことをしようとするから破綻するのだ。モラハラやDV、ストーカーとなり意に沿わない相手を無理やり支配しようとする連中の「怒り」も同様のものだ。

「相手にとって良き脇役でありたい」
これが人間関係の基本にして奥義だと個人的には思っている。あくまで相手の人生の主役は相手だ。

ただしこれは「あきらめ」ではない。
他人だから思い通りにならないという事実を受け入れたうえで自分の領域にある努力は続ける。自分がやれる努力はしつつも相手の気持ちへの配慮を忘れないということだ。相手の気持ちを無視して怒りで押しつぶすと遅かれ早かれ必ず破綻する。

感情は制御するというか、上手に用いるべきものだ。自己成長のエンジンには向いている。ただしハンドルに用いてはならない。ハンドルは理性であるべきだ。

CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。