ルール=毒にも薬にもなるもの

松本人志、上島竜兵さん死去に「BPOはどうお考えか」……『水ダウ』コンプラ抗議企画は反響も「自殺原因と重ねる」発言の問題点
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私見でとても大雑把に言えば。人類の文明発展過程の中でのルールの在り方を考慮すると。

①まず文字通りルールがない「無法地帯」から始まる。「弱肉強食」「原始時代」「実力主義」「結果がすべて」だ。弱者が一切の保護や忖度、制度的な救済を受けない。「弱ければ死ぬ」だ。


②んで産業革命時。一定のルールはできたものの強者のためのルールである。

「炭鉱での児童雇用について、通常の就業開始は8~9歳、早ければ4~5歳で始まり、その労働時間が12時間であることが記されています。また、北東イングランドでは、7~10歳は通気番、11~14歳は馬曳運搬夫、14~18歳は運搬見習を手始めに、運搬助手、運搬夫となり、18歳以上の成人に達すると炭鉱夫になることも報告されました。
*参考文献 「イギリス石炭鉱業と初期鉱山立法」 若林 洋夫

ある種、無法地帯よりもひどい。効率重視で労働者が使い捨てであり、資本家ばかりが肥え太る。強者の支配に「ルールというお墨付き」が与えられてしまった状態。「悪法も法」という感じである。

③その問題解決を図ろうとした1つが「共産主義の思想」なんだが、これがまた輪をかけてひどい。弱者救済のルールや制度をという思想は尊いのだが、結局そのルールを作る人という「さらなる強者」が発生してしまう。共産圏の国の独裁者の「国内最強っぷり」は資本主義、民主主義の国の比ではない。

「弱者救済のルール」「強者の横暴を封じるルール」はよいが「強者にさらなる権限を与えるルール」にはかなり問題を感じる。

「ルールは薬と同じ」で「なしですむならそれにこしたことはない」と思う。そして多すぎると毒になる。かといって一切ないとこれまた問題だ。用法容量を守って適切にというところか。

現状の民主主義や資本主義の中で「努力目標としての弱者救済」「ある程度成功者を評価する」というのがベストではないもののベターなのかなと現時点では思っている。

さて、本記事のBPOの「痛みを伴う笑いの規制」もルールの一環だ。

CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。