2021シーズンの雑感

 愛媛FCの2021シーズンは「原点回帰」という言葉ではじまった。その呼び声に応えて、かつて愛媛でプレーした選手たちがおおく戻ってきてくれた。そしてキックアンドラッシュのサッカーがはじまった。
 原点はどこかと問うた人が、それを〈いま〉だと言うことはない。どこからかやってきて〈いま・ここ〉にいるという視点がなければ、かつて自分のいた場所をふり返ることはできないから。〈いま〉いる場所がすくなくとも原点でないと自覚した視点でもある。なので、前年度まで率いた川井健太元監督がつくりあげたものは原点ではない、というのがフロントの考えになるのだろう。だって、〈いま〉そこにいたのだから。そこからふり返るのだから、原点は別のものになる。なので、必然的に川井氏が積み上げてきた「ボールを大事にするサッカー」を離れることとなる。
 原点は出発点。愛媛FCの出発点はどこなのか? 特定の人々が寄り集まり、その思いとエネルギーに輪郭をあたえ、それに愛媛FCと名づけたときなのか。それとも、その特定の人々が愛媛を代表するサッカーチームをつくろうと思い立ったときなのか。はたまた、前身である松山クラブが結成されたときなのか――と、出発点は追えば追うほど遠ざかるものである。じゃあ松山クラブを結成しようとおもった人たちの思いが原点になるのか、そもそも愛媛で最初にサッカーボールが蹴られた瞬間を原点とするのかといった具合に。つまり、そんなものは存在しないともいえる。だから「原点とは?」と問うてふり返った人が、その視界に見つけてそこだと決めた始まりを、便宜上原点と呼ぶのだ。
 ところで、原点は「らしさ」とか「アイデンティティ」という言葉に言い換えることもできる。だから、愛媛FCらしさとはなにかという問いにもできるし、愛媛FCのアイデンティティとはなにかという問いにもできる。これは古今東西繰り返されてきた問いでもある。自分とはなにか? という問いである。愛媛FCは、2021シーズンを自分探しの旅とした。
 さて、自分探しの旅は成功しない。そういうことになっている。だって、探すものがわかっていないのだから。自分がなにを見つけようとしているのかわからないままに探し物をしている図は、狂気ともの悲しさを見るものにあたえる。
「なにを探しているの?」
「自分でもわからないけれど、自分を探しているの」

 愛媛FCのフロントは原点回帰を宣言した。じゃあ、あなたたちはどこを原点だと見つけたのですか? と僕らは待つわけだが、その答えは返ってこなかった。ただ、かつて愛媛でプレーした選手たちを呼び集めたところから、フロントが想定した原点を推測することはできる。今季の選手編成は、2015年に愛媛FCがシーズンを5位で終え、J1昇格プレーオフを戦ったときのメンバーがおおくなった。もっとも、2021年からふりかえったとき、現役でプレーしている選手たちがまだいるころが、実際的に6年まえが限界だったというだけかもしれない。
 2015シーズンを率いていたのが木山隆之さん。このころの愛媛FCについて小生がおぼえているのは、シーズン後半戦から阪野豊史選手が爆発的な活躍をみせてくれたことくらいだ。正直、どんなサッカーをしていたのかは思い出せない。そもそも6年まえの小生は、ゴールとビッグセーブくらいにしかサッカーの楽しさを見いだしていなかった。サッカーのチームスタイルも、ポゼッションとカウンターっていうのがあるらしいぐらいの認識である。で、ミシャ・サッカーの影響で3バックはポゼッションで4バックはカウンターぐらいにしかおもっていなかった。乱暴。つまり、2015年の愛媛はポゼッション型のチームだった、と小生はおもっていた節がある。で、伝聞を耳にすればそれは間違っている。ということで、2015年の愛媛FCがどんなチームだったのか、小生にはよくわからない。
 ただ、2015年に愛媛FCに加入した近藤貴司選手が、母校早稲田大学ア式蹴球部のインタビューで、昨季(2014年。監督・石丸清隆氏)のようにポゼッションをしながらゴールを狙っていきつつ、今季(2015年)はゴールに迫れるときは速く攻めようと言われているとコメントしていた。2014年はボールの保持をもっぱらとしていたけれど、2015年は速攻も狙っていくスタイルだったことがうかがえる。
 ところで2015年といえば、日本代表の監督はハリルホジッチ氏だった。彼の縦に速いサッカーという言葉と、快進撃をみせた当時の愛媛FCを紐づけたネットの記事も読んだ記憶がある。なのできっと、愛媛FCは縦に速いサッカーをしていたのだろう。
 ハリルホジッチ氏といえば、監督就任がうわさされたころに、同胞で元愛媛FC監督のバルバリッチ氏(当時コンサドーレ札幌の監督)が彼の人となりについて答えているインタビュー記事があった。そこで愛媛FCの監督をしていたころについても言及されていた。主に齋藤学選手についてのことだが、曰く、彼はスペシャルだったから、チームの規律を守らせつつも基本的に自由にプレーさせていたと述べていた。
 小生が愛媛FCの試合をみはじめたのは、バルバリッチ監督のころである。前野貴徳選手が大卒2年めでキャプテンを務めていたころである。当時の小生には、サッカーとはとにかく前にボールを蹴るスポーツであるという認識しかなかった。ビバ・キックアンドラッシュ。遠くに蹴飛ばしたほうが勝ち。愛媛FCの原点はキックアンドラッシュだと寝起きにささやかれれば、いえい、熱いコーヒー飲みたいと言うかもしれない。
 ネット上には、バルバリッチ氏が愛媛FCの監督に就任したころのインタビュー記事なんてものも残っていたりする。そのなかに、欧州の最先端のサッカーにとりくみたい、それは全員で攻撃し全員で守備をするサッカーだという野心的な発言があった。ゼロ年代の末に欧州でどんなサッカーがトレンドになっていたのか、小生には知る由もない。が、全員攻撃・全員守備というのは、フォワードは点とってくれりゃ守備しなくていいとか、ディフェンスは守備だけしていればいいわけではないんだよ、ということらしい。なので、このころの愛媛FCの試合の寸評をみると、高い位置でのボール奪取を狙っていたのがなんとなくうかがえる。愛媛の高い位置でのプレッシングに苦しみ、なんていう記述もあった。愛媛FCは堅守速攻という評を聞くこともあったが、それはこのころのサッカーを指しているのかもしれない。いまでいうところの攻撃的な守備に挑戦していたのだろう。
 全員攻撃・全員守備というと、小生なんかはトータルフットボールを想起する。そして、元日本代表監督であるオシム氏の「理想はトータルフットボールだ」。しかし、それに「近づくことはできるが、実現することはない」という言葉も連想する。バルバリッチ氏は選手時代、ユーゴスラビアのオリンピック代表としてオシム氏に選ばれたことがあるというし、シンパシーを感じるのはヨハン・クライフだとも述べている。
 バルバリッチ氏はトータルフットボールの追求者であったのかもしれず、愛媛でもそのサッカーを目指したかったのかもしれない。だが、それに近づくことはJ2の選手たちではより困難だっただろうし、なによりスペシャルな齋藤選手があらわれたことで、みんなで守って彼のカウンターに託すサッカーへ切り替わったのかもしれない。
 とはいえ、バルバリッチ氏がやりたかったサッカーが本当のところなんだったのかはわからない。だが愛媛FCが「欧州の最先端のサッカー」を志す人物を監督に選んだのは興味深い。もしかしたら、愛媛FCはトータルフットボールがやりたかったのかもしれない。
 オシム氏つながりでいえば、2017年から2018年途中まで指揮を執った間瀬秀一氏も当然そうだ。2018年はともかく、2017年の愛媛はかなり攻撃的なサッカーをしていたと記憶している。先制点をとられても、まあ、追いつくでしょうという信頼感があった。2017年は地上戦がおおかった気がするのだが、2018年になるとひたすらロングボールを蹴るだけのチームになって瓦解したという印象だ。ところで、間瀬氏は愛媛の監督就任時に、このチームは背の高い選手をならべているわけではない、つまりそういうサッカーをするわけではないとおもっています、といっていたのが印象的だった。間瀬氏はもともと、ロングボールに頼ったサッカーを志向していたわけではなかったのだろう。なんで戦い方をかえたのかはわからない。

 だいぶ脇道をうろうろした。そろそろメインストリートへ戻るために角を曲がってみる。2021シーズンの雑感だ。
 2021シーズンの愛媛FCはどこを原点とみつけてスタートしたのか。それはおそらく、クラブ最高位を記録した2015年シーズンと、バルバリッチ監督が率いていたころの愛媛FCだったのではないかと想像する。縦に速く、また高い位置でボールを奪ってショートカウンターを打つサッカーを、クラブは原点と見つけたのではないか。
 今季の緒戦、和泉茂徳監督率いるチームは、ボールを奪ったらすぐさまロングボールを前線へ送る戦い方をしていた。同時に、高い位置からのプレッシングをおこなってショートカウンターへつなげようともしていた。要は、相手陣内でのプレー時間を増やそうとしていた。
 だが、前線へのボールは闇雲にみえてこぼれ球を拾えず、また高い位置でのプレッシングは、オフに監督を交代してビルドアップを整備している途中のわずかなチームにしか効果的ではなかった。ビルドアップの技術と方法が広範にいきわたっている現在、それを上回るプレッシングの仕方を備えていなければ、高い位置でのプレッシングは連動を絶たれ、いたずらに中盤を相手に開け放つ無防備さにつながってしまう。
 また、ボールを保持しなくなったことで、否応なく相手チームから攻撃を受ける回数も増えていった。守備機会が増え、自陣深くにおしこまれるようになり、ようやくマイボールにしてもつながらないロングボールを蹴ってこぼれ球もままならない。だからこそ高い位置でボールを奪おうと前へでてみれば、空いた中盤をつかわれてやはりおしこまれることになっていた。
 攻守の切り替えも増えたことで、チームで戦うところからはなれ、選手の個の力に依存するシンプルな戦いが局所に目立つようにもなった。シンプルという概念は容赦がない。そこには単純に力あるものが制する価値観だけがあり、シンプルであるにはそれだけで成立する力がいる。たとえばシンプルなデザインだというとき、それには装飾を必要としないほどたしかな美しさがあるということだろう。ゆえに、シンプル・イズ・ベストという言葉は持たざる者にとって暴力だ。一般に僕らは、シンプルであることができないから工夫を凝らすのだ。
 シンプルな戦いをみずから臨んだ愛媛FCは開幕から6戦で勝利がなかった。和泉監督は辞任というかたちで去り、ヘッドコーチの實好礼忠氏が監督に就任した。ところで、和泉氏はエルゴラッソの選手名鑑で、志向するサッカースタイルの欄にポゼッションサッカーと書かれている。これはちょっと気になる。ポゼッションサッカーを試みた結果、なぜかロングボール主体のサッカーが体現されてしまったのか。はたまた、ポゼッションサッカーをしたいのだけれど、チームの方針として違うサッカーをしなければならなかったのか。川井氏に充分鍛えられた選手たちだから、ボール保持は充分できるだろう。となると、和泉氏は慣れない戦い方を選ぶしかなかったのかもしれない。
 實好監督が就任した直後の愛媛FCは、わりと頼もしいサッカーをしていた。ロングボール一辺倒をやめ、昨季まで積み上げたサッカーを思い出したかのように躍動していた。が、それも2、3試合だけだった。そのうち、高い位置でのプレッシングをはがされて一気の前進をゆるしたり、ロングボールを前線へ蹴りだしてはこぼれ球を拾われて攻撃を受けつづける状態に戻っていった。ただ、藤本佳希選手が強靭なフィジカルでボールをおさめ、みずからドリブルで仕掛けていくプレーが効くこともわかっていった。
 藤本選手が起用されはじめたのは、それまでトップにはいって身体を張っていた吉田眞紀人選手が負傷したためでもある。吉田眞紀人選手は数的不利な状況での肉弾戦を地上でも空中でも繰り返していた。もし負傷がその結果だったとしたら遣る瀬無い。
 シーズン中盤は藤本選手の単騎突破にかける戦いに終始した。そのなかで藤本選手はなんどとなく巧みな抜けだしや、スーパーなゴールを決めてくれた。愛媛FCはカウンターが脅威だという認識を相手チームに植えつけただろう。だが一方で、それ以外でボールを前進させる方法はみあたらなく、藤本選手が抑えられてしまうと八方塞がりになる状況がつづいた。
 シーズン終盤にはいって、頼みの綱である藤本選手も負傷離脱してしまう。彼もまた、前線で身体を酷使しつづけた結果負傷してしまったのだろうか。わからない。ともかく愛媛FCは残留争いが激しくなる終盤をエース抜きで戦わざるをえなくなった。
 そんなときに現れたのが、東海学園大学から来季の加入が決まっている小原基樹選手だ。特別指定選手として承認されると、直後の第33節V・ファーレン長崎戦でベンチ入りし、途中出場している。この試合では最後1分のみの出場となったため、どんな選手なのかはわからなかった。しかしつぎの第34節FC琉球戦でスタメンに名を連ねると、さらに第35節ジュビロ磐田戦にも先発し、プロ初ゴールまで決めている。彼のすばらしさは琉球戦をみた人ならだれでもわかることだった。磐田戦でのゴールにはおどろかされたものの、やはりという確信をあたえてくれるものでもあった。
 きっと彼はサッカーの探究者だ。フィールド上での自分の動きが味方や対戦相手に影響をあたえるとわかっている。自分がここで1、2秒ボールを留めれば相手の陣形に隙ができる――そういう視点をもっている感じだ。たしかな足もとの技術をもち、2ライン間でターンすることさえできる。なによりボールを失わない。小泉佳穂選手か!
 攻撃面だけでなく守備面でも卓抜したところがある。守備の際は、2列めの選手として、スペースを埋める意識、相手のパスコースを限定する位置取りが的確で、みていてとても気持ちがいい。そこが空いているといやな感じがしたんだってところを押さえてくれていた。ということで、彼のはいる左サイドの相手陣内からショートカウンターを打つ機会もおおかった。もうこのころには、ほとんど小原選手のチームになっていた。
 ただ、それでもその期間での勝利は琉球戦のみだった。そのうえ、残留争いのライバルであるツエーゲン金沢とSC相模原との試合にも敗れている。J2の厳しさは、J2で戦うチームのファン・サポーターなら無論わかっている。ときにはその厳しさをネタに小声でJ1や日本代表を挑発するのも愉快である。であるならば、残留争いのライバルに2度も負けて生き残れるほど甘いリーグでないこともわかっている。わかっているというか、自分でかつて口にした言葉が呪いとなって身に迫ってくる。奇跡よ起これと願ったが、それは本当に絶望的だとわかっているからだ。そしてやはり石はパンにならなかったし、ただの水が葡萄酒になることもなかった。
 第41節の水戸ホーリーホック戦に敗れたことで、愛媛FCは20位以下が決定した。なにがなんでも勝利で終わりたかった最終節レノファ山口FC戦も1―1の引き分けだった。もっともこの試合、やはり高い位置でのプレッシングがはまらないままの前半だったが、後半は選手たちの特徴が活きていておもしろかった。近藤選手の同点弾の起点は、途中出場の忽那喬司選手だった。タッチライン際でボールを受けたあと、寄せてくる相手を横にドリブルすることで剥がしつつ、中央の味方へのパスコースの角度をつくったプレーがすばらしかった。やはり忽那選手はうまい。
 近藤選手のシュートはもちろん、忽那選手からのパスをスルーした森谷賢太郎選手の判断もすばらしかった。森谷選手はタッチライン際から相手に引っ掛けずに裏を狙ったパスをだす場面もあってさすがだった。なんで彼らのこうしたプレーが活かされる戦い方ができなかったのだろう。
 チームとしても、残留争いをするなかで、ボールホルダーの斜め前に複数のパスコースをつくる動きとか、相手のあいだをとってボールを前進させる場面もみられるようになってきていた。なんでもっとはやくにと思わずにいられない。もっとも、小原選手がボール保持を安定させてくれたり、ロングボール主体のチームと認識されて相手が高い位置でプレッシングをかけてこなくなったりしたことで、相手陣内でボールを持つ機会が比較的増え、攻撃的なプレーがでるようになっただけかもしれないが。だとしても、選手たちはもともとそれくらいできていたのにと遣る瀬無くなるばかりだ。だって去年はできていたのだから。勝ち点を積み上げた試合でみられたのは去年までのサッカーだったじゃないか、と拗ねてみたくもなる。

 愛媛FCの自分探しの旅は、やはりなにもみつからないまま終わった。にもかかわらず/だからこそ、もういちど原点へ戻るという。いったいどこからどちらへむかってふり返るのだろう。クラブが見つけた原点を、今度は僕たちにも教えてくれるのだろうか。
 2022シーズンの監督として石丸氏がうわさされている。前回石丸氏が監督を務めたのは3カ年計画(?)初年度の2013年だったが、ついに3年めを迎えることはなかった。石丸体制3年めをみたかった者のひとりとして、監督に復帰してもらえるなら嬉々として万歳するところだ(ところで3カ年計画とはなんだったのでしょう? 結果的に木山監督によってクラブ最高位の5位で終えたため、一応成功したということになるのかしら?)。
 ボールを大事にするサッカーをもたらしたのは石丸氏だった。ふしぎなことだが、石丸氏をふくめて、川井氏や、愛媛FCレディースの赤井秀一監督といった、かつてJFLやJ2参入当初を愛媛FCの選手として過ごした方たちは、ボールを大事にするサッカーを志向する。とくに川井氏は、自身がユースのころから愛媛FCにかかわっている。
 愛媛新聞社が発行するスポーツ雑誌の『Edge』、昨年の11|12月号は愛媛FC特集だった。表紙が『アオアシ』の作者小林有吾氏が描いた青井葦人と森谷選手という、カッコイイ例のあれである。そのなかに川井氏のインタビューが掲載されていた。そこで川井氏の目指すサッカーは、「粘り強く泥臭い守備をベースとし、奪ったボールをテンポよく動かして試合の主導権を握り続ける」と描写されていた。泥臭い守備も、試合の主導権を握り続けるというのも、川井氏がユースのころにみていた愛媛FCの姿だという。川井氏が愛媛FCの原点として見つけたものなのだろう。昨季の最終節のハーフタイムで発破かけた「愛媛らしさとはなんだ?」が思い出される。
 愛媛FCで選手から指導者になった方々がボールを大事にするサッカーを目指す。それこそが愛媛FCだと信じて目指す。ふしぎなことに、クラブもそういう監督を選んできている。もしかしたら、その選択は抑圧された無意識なのかもしないが。
 石丸氏の復帰が本当だとしたら、よろこぶ一方で、自分探しの旅の果てにいる〈いま・ここ〉からふり返ってみたら、「やはり原点はボールを大事にするだよね」と見つけたのかと不安になる。一周しただけではないかと泣けてくる。悲しいのか可笑しいのかはわからないが。
 なにはともあれ、最終的に愛媛FCは20位で2021シーズンを終えた。選手、スタッフ、監督の皆様、おつかれさまでした。
 チームを離れる方の報せもおおくなってきた。残留のために全力を尽くし、しかし叶わなかったおもいを、次のチームで力にかえ、元気にやっているよとお伝えください。いままでありがとうございました。

 来季、愛媛FCはJ3を舞台とする。J2へ戻るための戦いが待っている。それはきっと厳しいものになるはずだ。そう、俺たちの戦いはこれからだ!
 愛媛FCの来季の戦いにご期待ください。
 またね。