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無題

2021年2月27日

その日は突然にやってきた。長男である慧正(アキマサ)が急逝したのである。享年24歳。現在私はは七七日忌法要を終えて、未だ”けむ”の杜の中をさまよっている。さまよっているのではあるが、その道筋にははっきりとした光を感じ、そして迷うことなくその”けむ”の中を歩いている。

愛別離苦

仏教でいう「四苦八苦」の中のひとつで、愛するものとは必ず別れなければならない。そう、人生一切皆苦、諸行無常を叩きつけられたのである。いろいろなものを手放したつもりでいたのではあるが、ここへきて最愛のものまで手放せとは。茫然自失としている中にも、少し俯瞰して自身を見ている自分がいたことは救いであった。

無為自然

意図するわけではなく自然がなすままに生きよ。中国の思想家である老子の教えである。慧正は知的障がい者であったが、まさに作為を持たず自然に生きた存在だと感じている。障がいがあるから?果たしてそうなのであろうか。何が障がいであるかは、現時点での社会性や規範によって区分けされているものではないだろうか。それは時代が経るごとに変化して然り。今まさにパンデミックの世にあって、私たちは一旦立ち止まり、未来を進むことを望まれているような気がしている。

唯々在る

人は関係性を持ちながら生きている。いや生かされている。自然で無常(無情)な風に吹かれたならば、別れは突然やってくる。やはり生かされている。コントロールできないものに抗う無力さを知った時、同じ自然の中で生きるすべての命、隣人たちをコントロールしようとすることが、あまりにも虚しく意味がないことであるかを感じている。唯々その存在を尊重したい。湧き上がる自己の感情と向き合いながら、その境地に向かっていきたいと願っている。

渾沌に目口はつけない

自然に生きたならば、湧き上がる自分の感情や意識は渾沌としてくる。それには抗わないで居たい。地域に開く町工場と題して経営を行い、経営者を引退し、地域に安心安全な空気感をつくりたいと言って10年くらい。先週からまちづくりに携わるお仕事をいただけた。慧正の残したアート作品は多くの場所で展示をされ、見知らぬ方々に知られ、私とのご縁を繋ぐこともある。さらさらと流れる川のように、その縁なるものは抗うことがなければ自然にやってくるのだと感じている。

道(タオ)に生きる

大いなる見えない流れを感じることができたならば、それに抗うことなく自然に生きる。慧正は知的障がいと呼ばれていだが、私たちが生きる上で最も頼りにしている「知」というものに振り回されず生きていたのだと確信する。それは大宇宙の流れに沿うことであり、自然に抱かれた人の在りようそのものであったのだと感じる。私はその近くにいることの幸運さに気づくこともなく五十数年を過ごしてしまったが、生のある限りは「道」を少しでも感じながら過ごして行きたい。


慧正の葬儀は近親者の方々で行った。喪主であった私は、参列者が身内ばかりであるということを理由に、喪主のあいさつは慧正への手紙を読んだ。その全文を公開し、私の今後の糧としていこうと思う。

慧正へ

アキと出会って24年間、今この時点で思い起こすと、とても充実した日々だったのだなと感じています。
私は、あなたを受け入れることにとても時間がかかった不器用な父親でした。しかし、あなたが態度を一切変えることなく成長してくれたから、何度も何度もチャンスをくれていたんだと思います。
アキはできないことが多い人だと思っていましたが、それは全く逆でした。あなたは鏡のように私に必要なことを映して、諭してくれていたのですね。本当にありがとう。

アキがいることで、行動の自由がとても制限された生活だと思い込んでいましたが、実はその私の心は、とても自由に飛び立つことを許されました。そして、それまでは感じたり、表現したりする事が苦手だった私が、喜ぶこと、怒ること、悲しむこと、楽しむことなどを自由に感じとれるようになっていきました。とても時間がかかってしまって、ごめんね。
その後、それを表現するようになって、とても多くの方々と繋がりを持てるようになりました。全てがあなたを根っこにした行いだったのだと今更ながらに感じています。そして最後には、愛するということ、をハッキリと感じとれる経験をくれました。感謝しています。

アキにとっては、決して過ごしやすいと言える世の中ではなかったかと思います。そんな世の中において、他人からの評価に惑わされず、人を傷つけない態度をとり、昨日を嘆かず今を生き、自分の今を表現できる姿は、どれをとっても私には出来ない事ばかりです。そして、一切の執着にとらわれず、あまりにもあっさりとこの世を去っていくその姿は、とても美しく、心から尊敬します。

お父さん、お母さん、シゲくんはとても寂しい。ても、それも執着なのですね。私たちは、これからもあっくんを愛し、あっくんの辿った道を思い出し、そして学び感じ続けることでしょう。今までのように。

そして、また再会しましよう。今までのように。

父 大野雅孝


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