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心に移りゆく、よしなしごと

力めば力むほどなぜか物事がうまく進まないことがある。

はじめこそ力でどうにかなったとしても、後半になって行き詰まるのは大抵、こういう場合だ。

かと言って、力が入っているかどうかなんて本人にはわからないものだ。

しかし、「さあ、やるぞ!」とか「よし、頑張ろう!」

なんて意気込みから始まったものや事柄には力が入っていることが多い。

はじめの一歩をどうやって踏み出すか

やる気を込めて意気込むのいいけれど、実はやる気には限界がある。

だから、「やる気がない」なんて人から言われても気にすることはない。

やる気ゲージがずっと満杯の人なんていないのだから。

では、なぜ力めば力むほど上手くいかなくなるのか?

それは、やる気も含めすべて逆らう力になるからだ。

例えば、激流に逆らって川を登ろうと思えばかなりの力がいる。

しかし、川の流れに流されてしまえば全く力はかからない。

この力の向きをみて「やる気の有無」を決めるのは人間の勝手なのだ。


私は、自然がすきだ。

自分が森の中で生まれ、森の中で育ってきたことがその理由でもある。

森では、すべてが生きたいように生きている。

太陽の方向を目指して枝葉を伸ばす木々は、もはや人間の手には負えないアートだ。

けれど、森の植物たちは恐らく「頑張ろう」なんて思って伸びていないだろう。

思うがままに伸びた先に森ができたというだけだ。

確かに頑張って成し遂げることは素晴らしい。

しかし、川の流れの先に海があるように、たどり着いた場所で、

なんとなく始めてみることも面白いもんだなと最近、思うようになった。

私は、文章を書くことがすきだ。

もちろん、考えることや、もの思いにふけることも。

今までは、「よし、大作を書くぞ!」なんて意気込んでいたし

仕事に対しても「よし、頑張るぞ」「役に立つ人間になるぞ!」と力んでいた。

だが、その後、大作が出来上がることもなかったし、仕事も転職を重ねては何か違うなと思っていた。

流されるままの人生も面白くはないが、力みっぱなしの人生も面白くない。

私は、「なんとなく」この文章を書き始めたが、思いのほか楽しく何故か清々しい。

「書きたいものを書く」

頑張るわけでも力むわけでもなく、そうしたいからそうする。

自然と同じように生まれた、この気持ちを大切にしたい。

しかし、もちろん、この気持ちだけでは食べていけない。

それが社会の厳しさだ、世の中、金だと言われてしまえばお仕舞いだ。

ただ、人間も自然の一部なんだから、そんなに力まなくても良いよなとは思う。

そして、その「なんとなく」が実は自分の心から本当に湧き上がった想いだったりするものなのだ。

あなたは、「なんとなく」を忘れてはいませんか?

もしかしたら、そこに新たな発見があるかも。

まじまじめでした。

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