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ほしい未来ってどんな未来?

みなさん、毎日おつかれさまです。週末ですね。コロナ禍でリモートワークが進み、移動時間が減り、しごと→オンラインイベント企画/参加する日が増え、ある意味、暮らしとしごとが隣り合わせの時間を過ごすことが増えました。1日中PCを見ている気もする…。当たり前のことがそうではなくなってしまったこの数か月。時間の過ごしかたや暮らす場所、働きかたなどいろんなことを改めて見つめなおすことが増えた人も多いのかなと思っています。

わたし自身も、時間をどんな風に使っていきたいか?どうしたら自分なりのしあわせな過ごしかたができそうか?と思い、まず「暮らし」を変えてみました。2週間前に小さな庭のある新居に引っ越して、これから小さな家庭菜園でもはじめたいなーとわくわくしているところです。そして、社会課題に向き合っているひとに会うたびに吸い込まれるように魅力を感じることから「サスティナブル」をキーワードにした、いくつかの複業もはじめています。とはいえ、フルタイム・週5で働いているので本当に本当に少しの時間でしか貢献できていないのですが、その一部だったとしても事業を支えるひとりとして参加させていただくことで、自分の生きている環境と異なる世界でも刺激をいただいています。楽しい。


▼以前に複業についてのインタビューをしていただいたので、詳しくはこちらから

いま、さとのば大学で週に3回オンライン講義を受けています。

キャンパスは存在せず、好きな場所で学び、実践し、暮らすことができる大学。インプット型の学びではなく、自分自身のルーツを深く知り、プロジェクトを進めていく伴走役としてそっとサポートしてくれるような存在です。

ここでは20名弱の仲間と一緒に「ほしい未来」についてじっくりと考えてきました。

大切にしている価値観ってどこからきたんだろう?なんでそう考えるひとになったんだろう?いま、置かれている状況は本当に自分のほしい未来につながっているか?といろいろな角度からの問いを重ねることによって、ゆっくりとほしい未来と自分の在りかたについて考えています。

その中で、とっても素敵だなとゾクっとしたのがbeの肩書きという考えかた。みなさんには肩書きってありますか?例えば、〇〇会社の△△部とか、美容師、大工、先生といったものもそう。おかあさんとかPTA会長、ペットの飼い主っていうのもそうだと思います。多くの場合、肩書きって職業を指しています。でも、「beの肩書き」というのは、その人自身を指しているんです。だから、たとえ職業(=肩書き)が変わったとしても変わらない自分らしさ100%だとイメージしてもらえたらわかりやすいかも。

わたしも自分の「beの肩書き」ってまだピンときていなくて、これだ!と思える言葉に出会えていないのですが、いろんな人とお話する中ですこしずつクリアになっていけたらいいなぁと思ったりしています。


そんなわたしが欲しい未来は、「自分と大切なひととが分かり合って、しあわせをともに感じながら生きる未来」なのかなという気がしてきました。前にしあわせという大きなテーマにしばらく向き合ってきていることを書いてみた(こちらから)のですが、結局のところ、しあわせってその価値観って人によって異なっていて、定義することは難しい。でも、大切なひととの関係値を改めて振り返ってみたり、ありがとうを伝え合う時間をもつことによって、に形を見つけていくことができたらなという気持ちに行きつきました。それは、パートナー同士かもしれないし、親子、ともだちかもしれない。いろいろなひとにとっての大切なひととの対話の場を一緒に過ごすことで、こころが緩んで、毎日過ごす中では恥ずかしくて伝えられないことも伝え合う時間になれたらなとおせっかいを焼きたいと思っています。

例えば親子だったなら、わたしはおとうさんやおかあさんの生まれたときの話やどんな幼少期だったかって、ほとんど聞いたことがない。どんなことが得意だったとか、苦手だったとか、初恋のひとってどんな人だったんだろうとか。笑 
さらに、しごとで大切にしていることや誇れること、これから実現したい夢ってあるのかなとか。こういった話をしたことがないのは、いつも両親がわたしの応援団でいてくれたからだって思うんです。いつも気にかけてくれて支えてもらうばかりで、本当に恩返しってできてるのかなとか、いまの自分に何を望んでいるのかな、一緒にしたいと思っていることってあるのかな、と考え始めたらわからないことだらけだー。それは、わたし自身が両親のことを「おとうさん」「おかあさん」という肩書きでしかとらえられていないからだと気づきました。だから、話を聞いてみて、それぞれの「beの肩書き」を見つけてみたいって思ったんです。

こんな気持ちになってふと思い出したのは、幸福度が高いと言われているデンマークでは、家族やパートナー、ともだちとの時間をたくさん過ごすことで深くつながっている感覚を共有していたこと。流行の洋服を着るとか、お金持ちになるとかで感じられるような相対的なものではなくて、しあわせは自分の中にある「絶対的なもの」でした。だからこそ、形はないし、定義することは難しい。でも、それぞれのひとが自分の心地いい時間の過ごしかたを知っていて、ほっと安心できる空間をもっていて。それこそが、しあわせのヒントなんだって気がついたんです。

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大きなことである必要はない。すでに目の前にあるしあわせを感じられるか。そのためには対話がカギになると思う。だからこそ、わたしはその対話をしてみようよ、という役割を担ってみたいと思う。うまくいくことばかりじゃないかもしれないけど、いろいろなひとの人生に触れて、しあわせを一緒に感じられる伴走者になりたいと思う。

コロナ禍で帰省できなかった夏。物理的に会えなくなって、ひととつながりにくくなって、自分のことを考える時間が増えたり、会えないひとに対して想いを馳せる時間も増えたのかなと思う。こんなときだからこそ、自分自身のこと、大切なひととのことを見つめなおすお手伝いができたらなと。面白そう、やってみたい、って思ってもらえたひとがいたら、気軽に連絡もらえたらうれしいです。自分なりに、一歩ずつ小さく小さく進んでみたいなと思っています。


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