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#17 寄生

 あれからしばらく、彼女とは言葉を交わすことなく日々を過ごしていた。結局彼女には僕が業務をする真意を伝えず仕舞いでいる。顔を合わせても何となく距離を取り合ってしまって、今更になって気不味い空気が流れているのが息苦しくて仕方なかった。
 彼女に嫌われてしまっただろうか。
 僕はどこか焦りを感じていた。嫌われたところでこれから死ぬ運命の人間だ。そんな人間に嫌われることの何を不安に思うのか。それなのに、彼女が言い放った言葉が延々と渦巻いて、僕の中で霧を濃くしていった。
 "何を怖がり、何を知りたいのか"
 答えが判然としないまま、それを良しとしている。それもそうだろう。僕自身、これまでずっと逃げてきたことなのだから。本当はこの答えが何なのかとっくに解っている。"業務だから"と言い訳を口にすれば怖がらずに済むと、子供騙しのようなことをしていただけだ。いつまでも故意に答えを霞ませているに過ぎない。
 僕は彼女を通して曲がりなりとも愛を少しずつ知った。そして、彼女が大事な存在になりつつあることも─────。
 彼女と出会ってから、僕は明らかに今までの僕では居られなくなった。『全ての事象は無かったことには出来ない』それがよく現れたというところだ。
 渋谷で出会ったあの夜が無ければ…なんて恨んでもみたが、自分で選んでしたことを恨んだってどうしようもない。
 こうして彼女が居なくなることに不安を覚える程、"能崎 紫"という存在が僕の人生の中に確実に根を張り巡らせ、巣食っているのは明らかだ。
 彼女の居なかった頃を思い出せない。どうやって今までこの家で、この世界で、一人で生きてきたのだろう。

「いつまでこうしているつもりですか。私の最期を見届けないつもりですか」
 ある日の午後。只々サイトに流れるチャットを眺め、座り呆けていた僕に、扉の側に寄りかかり腕組みをした彼女が問いかけてきた。声をかけるのを怯え躊躇っていた僕とは違って、彼女はすんなりと声をかけてきた。
「いや……。ずっと考えていたんだ。僕はこの業務を通して何を知りたかったのか。目を背け続けていたことが、はっきりしたよ。気不味い空気にして悪かった」
 僕は未だに口ごもりながら答えた。
「湊太さんが核心に触れることを話すのを、嫌う性格だとは分かっていましたから。はっきりしたなら良かったですね」
「バレていたか。君が自分の死について向き合っているのに、僕が目の前のことから逃げていてはダメだよな」
「ダメとは言いません。でも、向き合おうとするのは良いことだと思いますよ」
 ふわりとした彼女の声に安堵した。彼女は僕の見つけた答えについて、深く追及してこなかった。
 彼女の方が歳上だっただろうか。
 また彼女と初めて出会ったときの言葉を思い出した。
『年齢が関係していると思っている時点でがっかりですね』
 その通りだった。歳など関係無かった。彼女は僕以上に自分と向き合い、懸命に生きているんだろう。他人に自身の価値を見出しながら生きている僕とは計り知れない葛藤があったはずだ。
「人間、一人で生きていけたら楽なのにな。どうして何かに縋ってしまうんだろう……僕が弱い証拠なのかな」
「そんな訳ないですよ。某有名な先生だって"人と人は支え合って生きている"と言っていたではないですか」
「そうだけど…それを拗らせてしまったからこうなってるんじゃないか。まるで寄生虫みたいに拠り所を探し続けている」
「湊太さんは、私を拠り所にしようとしているんですか?」
 言葉にされると、告白をしているようでむず痒かった。僕は頭をくしゃくしゃと掻いては誤魔化した。
「私は…私は、あなたに寄生はしませんよ。だって、これから消えて無くなるものに縋ったって仕方ないですから。私は与えられた言葉に寄生して生きています。良くも悪くもね。だから呪いのように付き纏う言葉もあれば、救いの言葉もたくさんある。湊太さんにもそういう言葉は、あるんじゃないですか?」
 彼女に言われてなるほどなと感心してしまった。
 言葉には思わぬ力が存在する。何気ない一言がその人を貫く瞬間がある。言葉は盾であり剣だ。
 僕は間違いなく、親から与えられた言葉を、呪縛として自ら記憶にこびりつかせてしまっていた。それと同時に、彼女に貰った言葉も僕の中では呪いのように渦巻いていた。気付きを与えてくれる彼女を、暗闇に垂れる蜘蛛の糸のように感じていたのだろうか。
「そうだね。君から貰った言葉はきっとこれからも僕の中で生き続けるよ。ありがとう」
「それは良かった。でも、寄生の仕方を間違えると、それが良い言葉であったとしてもあなたを苦しめるだけのものにもなりますから、気を付けてくださいね。私はあと少しで居なくなる存在ですから」
「それ、わざと言ってないか?僕を苦しめて楽しんでるだろう」
「あら、そんな趣味はありませんよ。ただ、あなたは人の死を使って自分を探し続けているのでしょう?それなら、あなたは死ぬまでそのたくさんの死を引きずって生き続けるのですよ。それがどんなに自分の首を絞めようと」
 彼女が紡ぐ言葉は正しく糸となって僕を縛り上げているようだった。
 少しずつ蓄積していくこの糸が、いつ僕を殺すだろうか。
「死なないでくださいね。湊太さん。私たちの拠り所はあなたのサイトです。あそこは救いの場なんですから。無くなっては困る人がまだこの世にはたくさん居ます」
「ああ…」
 君はこれから死ぬくせに。逃げるくせに。そう言いかけて、思いとどまった。
‪『死にたい』と言う人に‬‪『死ぬな』とは言えない。無責任な言葉だと僕は思っているから。僕だって死にたいと思うことはあるから。『生きたい』に変えられるほど、その人に責任を持って接していける器もないから。だけど、死んで欲しくはない。‬死んだように生きて欲しくもない。‬
 この世は虚無だ。‬
 生まれた瞬間から決められた死に向かって進み続ける僕らは、何故こんなにも懸命に生きねばならないのか。
 弱肉強食。
 栄枯盛衰。
 もう無理だと思った時、SOSも発さずに消えていく灯。そういう人たちばかり見てきた。助けられるほどの器は無いが、最後の最後くらいは側にいてあげられる存在でありたいと、いつしか思うようになっていた。
「能崎…本当に死ぬのか…?」
「ええ。もうこの決意は変えませんよ」
「そうか………」
 こんなにも人の死が辛かったことがなかった。せっかく…せっかくこんな自分を曝け出せる人と出会ったのに。エゴなんだろうか。曝け出せていると思っているのは、僕だけなんだろうか。寂しさが込み上げていた。

「あと1ヶ月ですね……」
 彼女の言葉が無機質な部屋に響いた。

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