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#16 ハリネズミのジレンマ

 花火を見てから数日して、秋は何食わぬ顔をしてやってきた。突然気温が下がり始めたので、僕らは変動について行けぬまま季節の移ろいをぬるく受け入れていた。
 ネットで動画を見ていると、やれ美味しいものが食べたい食欲の秋だの、やれ恋人が欲しいだのと人間の欲という欲に塗れた広告が連続して動画の合間に流れた。
「恋人ねぇ……」
 独り言ちながら背もたれに身を預ける。早くスキップボタンが出てこないかと人差し指がリズムを刻んだ。
 僕は能崎と恋人になりたいだなんて今までで一度も思ったことがないし、今後そういう関係になろうとは思ってもいない。…あと1ヶ月しか生きる気のない人間を、恋人にするのもいかがなものか。そんな新手のお試し制度はいらない。
 それに、常に一人ぼっちなタイプの僕は人と関わるときの距離感がどうしても掴めない。そうして人から極力離れた生活を続けてしまった事も相まって、人とどうしたら親密な関係を築けるのかを忘れてしまった。だから死際の人間としか関われなくなるのだけれど。それもおかしな話か。

 『ハリネズミのジレンマ』
 傷付けず、傷付かぬ距離をいつになったら測れるようになるのだろう。傷を付けた側も付けられた側も、互いに辛いだけなのに。瞬間的に触れ合うから痛いのだろうか。それならいっそ、その針を体の奥深くにまで突き刺してしまった方が楽だろうか。傷つく覚悟も傷つけられる覚悟も無いまま関わるから辛いんだろうか。世界はいつだって自分を中心に廻り続ける。人は愚かだ。

「最近、業務が多いですね」
 僕がスケジュール帳に予定をカリカリと書き込んでいると、テーブルの側で本を読んでいた彼女が声をかけてきた。彼女はここにきてからずっと同じ本を何度も読んでいる。
「この時期は特に多いな。みんな寂しいんだろう」
「季節的な寂しさにみんな踊らされているんですね」
 肌寒くなってからやたらと僕のベッドで寝たがる彼女が平然とした調子でそう言ったので、僕は呆れた顔をして彼女をチラリと見遣った。ちなみに僕はそのベッドから追い出される。そしてなぜか彼女の使っている布団で眠らされている。理不尽だ。
「……。さっきも動画の広告でやれ恋人だなんだと流れてきたよ。恋人ってそんなに必要か?」
「必要でしょう。人生を添い遂げる人というのは尊い存在ではないですか。そんな強がらなくたって」
「強がってない」
「はい、図星」
 イライラして予定を書いていたペンに当たりそうになったが、ぐっと堪えた。僕は一呼吸置いてキッチンへとお茶を取りに向かった。
「恋人、どれくらいいないんですか?」
 キッチンに居る間も掘り返し続ける彼女はというと、勝ち誇ったような顔をしている。彼女を見下ろしながら、このまま頭からお茶をかけてやろうかと一瞬考えた。
「さあ…大学2年生くらいが最後だったかな…。あんまり覚えてない。自然消滅だったし」
「うわあ…1番歴然としない終わり方…」
「お互いあんまり好きじゃなかったんだろ。ノリだ、ノリ」
「若気の至りにしても最低な理由ですね。大学2年生の頃ということは、このサイトを立ち上げる前ですよね。やっぱり誰かと関わりたくてサイトを作ったんですか?」
 やたら僕の過去について聞いてくる彼女に若干の不信感を抱いた。今まで僕に対する興味を感じることなど全く無かったからだ。
「チャットサイトを作り始めたのは、人と何かしたいというよりは僕のパソコン技術を向上させるためだ。多分、僕の熱量の振り分けが彼女よりパソコンだったから嫌だったんだろ」
「彼女さん…かわいそうに…」
「うるさいな。そういう君はどうなんだ」
「居ましたよ。私も高校生の頃に」
 そう言って彼女は急に本で顔を隠し始めた。分かりやすく逃げている。僕は容赦なく聞いた。
「へぇ。"居ました"、ということは別れたんだろう?なんで別れたんだ?」
「私の家庭事情が嫌だったようです。よく泣きながら電話をかけていたので。私としては話を聞いてくれるだけありがたかったんですけどね。彼にとっては面倒事以外の何物でもないですし」
「嫌なら電話に出なきゃいいのに」
「優しかったんですよ。断われないタイプの人でしたから」
「それは優しさではないんじゃないか?」
「当時の私からしたら優しさでしたよ。今考えるとどうなのか…というのはありますけど。優しかった。そう思うことにしてるんです」
 "優しさ"
 この言葉に内包される様々な意味は、歳を重ねるにつれて数を増やしていく。しかも、どんどん重く深い内容になっていくので、よく人々が理想のタイプはと聞かれたときに「優しくて〜」なんて決まって言うが、僕にはもうそのセリフは安易に口に出せるものではなくなっていた。
 何が優しくて何が優しくないのか。定義が余りに不安定で、人によって正解も違うものであるのに、ほぼ全ての人が相手に対して欲するものだということに恐怖を覚える。
「君は"優しい"と思うよ」
「あら、何の風の吹き回しですか?」
「いや別に。そう思っただけだよ」
「湊太さんも優しいと思いますよ。こうして私を家に置いてくれていますし」
「これも一つの業務だ。あのまま君が実家にいたら、違う理由で既にこの世に居ないかもしれないしな」
 それを聞いた彼女は確かに、と頷いた。そして、少しの間を開けて彼女は僕に問いかけた。
「でも…湊太さん、私のこと避けてませんか…?」
「え………」
 思わぬ話の展開に動揺した。言葉が詰まる。
「え…いや…別に避けては…」
「避けてますよ。言葉の節々から伝わります。何を怖がってるんですか?」
「怖がってなんて…」
「怖がってるじゃないですか。業務として割り切らないと私と関わるのを拒絶する。どうして湊太さんがこの業務をするのかちゃんとした理由は知りませんが、私、このままの湊太さんに看取られるのは嫌だと思ってます」
 彼女の真っ直ぐな目は僕を否応無しに釘付けにした。
「人と関わるのが…私と関わるのが怖いと思うのなら、この業務はいつかあなたを滅ぼしますよ」
 間違いなく彼女の言う通りである。
 僕は人の感情について知りたいと思いながら、今まで深く関わることを極力避けて通ってきた。彼女を僕の中に取り込むのを危険だと思ったのは、知れば知るほど"僕"という存在が崩れていくからだ。今まで構築してきたはずの榊 湊太が消えていく感じがしたのだ。
「湊太さんは根本的には優しい人です。でも、業務に至っては全く優しさを感じません。ただの作業です。それに私たちのことを何も分かっていない。まあ、死ぬ人間に優しさなんて要らないのかもしれませんが。そんなんで人の死を見届け続けるなんて、自分の心を自ら殺しに行っているようにしか見えません。自殺するよりたちが悪いですよ。湊太さんは、この業務を通して一体何を知りたいんですか?」
 僕は俯いて床をじっと眺める他なかった。

 僕がこの業務をする理由。
 それを彼女に伝えてしまったら、僕は…"榊 湊太"は…消えないだろうか。
 彼女という針を僕に差し込んでしまったら。僕はそれを受け入れられるのだろうか。

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