初詣とお礼参りで聞こえてきたメッセージ。
千葉県浦安市には3つの代表的な神社があり、それぞれの地位域の氏神様のお役を担ってくださっています。
私が住む地域の氏神は「浦安豊受神社」で、御祭神は「豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)」。
無病息災、延命長寿、衣食住の神様です。
「初詣は三賀日の間に」
これは小さい頃からの私の中で培われたしきたりのようなものでしたが、何においても「そうあらねばならない」というのを打ち破ったコロナ禍。
今年も初詣は混雑の様子を見て行こう、そう決めておりました。
氏神様へ初詣。
1月12日、まずはその氏神様へ。
空いている平日のお昼間だけあって、ゆっくりとお参りすることができました。
もう何度もお参りしていることもあり、私にとって心落ち着く場所。
敷地も広くに幾つかの末社も設置された神社です。
話は少しそれますが、実はここ1〜2年職場で時折話題にのぼったり、片づけレッスンのお客様からも「行ってきたよ。素晴らしかった!ぜひ行ってみて」などというお話をお伺いすることもあったことから、最近は秩父にある三峯神社参拝への憧れが強まっておりました。ただし浦安からは距離も遠く特に冬は道が凍結することもあるため、思いたったらすぐ!のように簡単に行ける場所ではありません。それもあってか「行きたい」という憧れは募るばかり...具体的な行き方まで調べていた昨今でした。
話は戻りますが、今回は初詣だから末社も全部回って帰ろう、そう思い本殿のお参り後に一番最初の末社へと向かいました。するとそこはなんと「三峯神社」の分社だったのです。
過去に何度もお参りしていたのに、気づいていませんでした...というより気づいていたのかもしれませんが、意識に留めようともせずただ手を合わせていただけだった、ということが浮き彫りとなりました。
情けない気持ちにもなりましたが、ここの神様からは;
「灯台下暗し。本当に欲しいものは自分の近くにある。足元を見よ」
そんな教訓を得た気持ちになりました。
秩父の三峰神社にはものすごい「気」が流れているということを会話の中で聞くことが多かったので、もしかして私にはまだ早い場所なのかもしれません。
まずはご縁のある氏神様の末社の前で、自分を見つめな直すところから始めてみようかな。
ちょっと今年はここへ通いそうです。
鹿島神宮へ。
先週土曜には、1年間の後厄年明けた主人のお礼参りと初詣を兼ねて鹿島神宮にも行ってきました。
そこでも「これは自分へのメッセージかな?」思えるようなことがあったので記しておきたいと思います。
私は鹿島神宮に流れている空気がとても好きです。
中でも好きなのが御祭神タケミカヅチの荒魂が祀られている奥宮。
今回は改修中だったためいつもとは違う情景でしたが、それでもありがたいという気持ちが湧いてくる場所には変わりありません。
そしてここの周りに広がるマイナスイオンたっぷりの空気感も大好きです。
その奥宮の少し裏手にあるタケミカヅチの像。
この神様、かっこよくて好き❤︎
神様にかっこいい、なんて思ってはいけないかもしれませんが笑。
ここにも何度か訪れているはずなのに今まで気づかなかったタケミカヅチがその場所の”番”になって選択肢を迫ってくるように見える奥の二手に分かれた道の存在。
「どっちの道を選ぶのじゃ?」そんな声が聞こえてきました。
「自分の心に聞いて正しいと思う道を選べ」
今の自分に届けられたメッセージかなと思いました。
今年の私のキーワードになる。
「足元」と「道」。
「足元」が使われる言葉には色々ありますが、例えば;
足元を固める=自分が立っている足元の土を踏みしめて固めること=物事を行うにあたり、ちょっとやそっとのことで情勢が変化しないように油断なく念入りに準備すること。
足元を見られる=人の立場上の弱みに漬け込むさま。
など...自分に当てはめて考えていきます。
また、「道」には様々な意味があり、人がふみ行うべきことなどの道理や道徳などを表現する時に使うことも多い文字ですね。
初詣とはその神聖な空気に触れて自分の進むべき道を改めて見直したり、また祈りと称して実は鏡に向かって映った自分に今年の決意表明をすることなのかな。
たくさんの気づきがあったので、しっかりと今年に活かします。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?