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【822/1096】不安から距離を置く

私は、自分の内心の安心安全が非常に大事なので、不安に敏感である。
自分の安心安全が大事、と気づく前は、ずっと不安に塗れていた。あまりに不安しかなくて自律神経失調症やら、うつ病になったくらいだった。
不安を解消するために、外側に「正しさ」を求めた。
誰もが正しいと思うことをしておけば、大丈夫と思っていたから。
でも、誰もが正しいということはあまりなくて、誰かが正しいと言っていることは、ほかの誰かにとっては首をかしげることだったりした。
今思えば、安心できる場所というのをずっと求めてさまよっていたと言える。

忘れもしない2015年。
「安心はどこにあるの?」
と聞かれた。詳細はもう忘れてしまったのだが、なにかのワークショップで、そう問われた。
その人が答えをくれたわけだが、「安心は外側にはない」というものだった。
当時、何を言ってるか意味不明だと思った。
けれど、これがその後、じわじわと効いてきた。

自分の中に安心や安全(安心感や安全感と言ってもいいけど)がないので、外側に求める。
けれども、外側には安心や安全はない。
自分の内側に無いから。
というループをずっと自分がまわしていたのであった。
だから、ずっと不安なわけである。
自分の中に安心がないなら、不安しかない、みたいな感じ。

自分の一挙手一投足、「正しいか、正しくないか」「合ってるか、合ってないか」をやり続けていたのだから、疲労困憊なのは当たり前であった。
そのときの状況や環境、一緒にいる人によって、「正しい」「合ってる」は変わる。正しかったり、合ってたりしたら安心だが、そうでなければ不安になった。そして、不安になると、イライラする。不安は自分にとって不快だからである。
でも、ほとんど常に不安でイライラするわけなので、それをずっと出しっぱなしにすると、いろいろ不都合が多くなりすぎる。
だから、無視してその不快はなかったことにしようとした。
つまり、息を止めた。
頻繁に息を止めて、身体を固めた。
整体やマッサージに行くと、背中の硬さにいつも驚かれた。
どんなマッサージ師にも必ず言われるので、リップサービスなのかと思っていた。(背中が硬いと言った方が、マッサージに来てくれるからいいのかと思っていたので)
ところが、リップサービスではなかったらしい。
あるとき、ものすごく真摯なマッサージ師がいて、しばらく通っていたのだが、「これは相当硬いです。長年硬めているので、一朝一夕には緩まない。けっこうやばいです」と目をじっと見て言われたことがある。嘘でも、サービスでもなかった。
その頃は子どもも生まれて、子どものことも不安でどうしようもない頃だった。
目を離したすきに何かあったらどうしようと過剰に心配していた。不安マックス状態であった。
しばらくそのマッサージ師さんの元に通っていたが、長野県に移住すると言って、去ってしまった。
そのときに途方に暮れた。
誰かに何とかしてもらおうとしていると、なんともしてもらえない時が来る、と思った。

その年に、呼吸・整体に出会った。
身体をなんとかしないとなと思って始めたのであるが、呼吸のことをやり始めたら、不安と距離を置けるようになった。
あれ?あれあれ?となんだかよくわからないけれど、身体も楽になるし、心も楽になる。
過去のことを振り返ってみても、もう遠い出来事のように距離ができる。
これがスペースってことか!と思った。
それまで、スペースがいまいちよくわかってなかったということにも気づいた。ぎちぎちだったのだろう。

不安なことが起きると、それに飲み込まれそうになる。
そのこと自体は、避けることができない。
けれども、不安に飲み込まれても、戻ってくる場所がどこか?がわかるといい。
そして、その不安と距離を置けるともっといい。
自分のままで、現実に対応できる。
不安に飲み込まれた自分は、ちょっといつもの自分とはかけ離れてしまうし、すごくきつい。
心が不安になったとしても、呼吸と身体が不安な状態を反映しないでいられると、不安と距離を置ける。
自分の身体と呼吸をベースにすると、安心を自分の中に持てる。

今日の呼吸のお稽古では、そのあたりをやりました。
継続して通っていただくと、どんどん自分の安心を育てて、不安と距離を置くことができるようになります。

では、また。

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