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小さな甘酸っぱくないヒミツ

「黒歴史」について語る、というテーマで15分話して聴いてもらうということを少し前にやった。
黒歴史っていうと、なんか大げさだけど、「あまり人に言ったことない小さな甘酸っぱくないヒミツ」のことを話すっていう。
さて何を話そう?と思って、ああ、これは人に話したことがないなあと思い出したのは、私が中学生のころの出来事だった。

秋の終わりか、冬になったばかりくらいの頃で、私はクラスの学級委員だった。
クラスメイトのお兄さんが亡くなって、クラスを代表してお葬式に参列するということになった。
昼休みに、担任の先生と男子の学級委員と3人で車で行くから、渡り廊下の昇降口で待っているように、と言われたのだった。
どうしてそうなったのか、詳細は忘れてしまったのだけど、私は時間に遅れたか、もしくは待合せ場所を間違えたかしたのだと思う。
渡り廊下の昇降口で待っていても、先生たちはやってこなくて、一人で置いてけぼりになった。
授業が始まって、校庭で体育をやってるクラスもなくて、ポツンと一人、そこで待っていた。
誰も通り掛からず、誰からも見つからず、時間だけがすぎて、ただひたすらじっとそこで動かずに待っていた。
今から考えると、職員室に行って聞いてみるとか、クラスに戻るとかやれることがあったろうに、と思う。
でも、その当時は、もう置いていかれてしまった、ということと、私は役立たずだということ(学級委員としての仕事を果たせないから)と、置いていかれたことを他のクラスメイトに知られるのがイヤだ、というようなことが頭の中をぐるぐるして、全く身動き取れなかったことを、話している時にありありと思い出した。
制服で立っているのは寒い時期だった。
惨めな気持ちで、一人で立っていたなあ。
そして、そのことを、30年以上、誰にも話さなかったんだなあ。

13歳の私は、そのあと、お葬式から帰ってきた先生たちと合流してクラスに戻った。
先生たちの顔を見たら、泣いてしまった。
先生は、「いなかったから先に行った」みたいなことを言っていた。
あのとき、「わたしは置いていかれる存在なのだ」というのがわたしに刻み込まれたのだなあ、と思った。
待っていてはもらえない。
いなかったら、探してもらえない。
一人で置いていかれる。
たった一人で待たされる。
そんな恐れが、すごくあった。

その上、クラスに戻った時に、わたしはかなり泣いていて、それをクラスメイトは「お葬式で悲しかったのだ」と解釈してくれて、慰めてくれる子たちがいた。
置いていかれたから泣いている、と言えなかった。
実はお葬式には行っていない、と正直に言えなかった。
わたしは、嘘つきだ。
嘘をついて誤魔化す存在なんだ。
そして、人の優しさをもらって、自分を甘やかしてる。
これも、しっかり刻み込んで、握りしめて持っていた。

そのあと、時間に遅れないということを死に物狂いでやった。
10代の頃は、待合せの30分前には到着しているようにしていた。
時間に遅れそうになると、何がなんでも間に合わせなければと、本当に焦った。
まあそんなんだから、平気で遅刻してくる人に対する怒りも並大抵ではなかったけどね。
人にも自分にも全く寛容になれなかったなあ。
あと、人に嘘をつかないために、自分に嘘をつくということをずっとやってきた。どこからが嘘で、どこからが本当か、わからなくなるくらいまで。
重大な罪を犯したから、罪を償うような気持ちを持ち続けていた。

だけど、よくよく思い出してみたら、担任の先生はそのあと、遅れて行けなかったわたしを責めたりしなかった。
お兄さんを亡くしたクラスメイトには、行けなかったことをちゃんと謝ったことも思い出した。
部活も同じだったから仲が良くて、話もしやすい友人だったのもあって、ちゃんと謝れたのだった。その上、彼はすぐに許してくれたし、そのあと自宅に遊びに行かせてもらったりしたんだった。
慰めてくれたクラスメイトから、嘘つき呼ばわりされたりもしなかった。
誰からも罰せられなかったのに、なぜか贖罪し続けていた。
わたしが、わたしを一番責めていた。
わたしが、わたしを一番許してこなかった。

誰にも助けを求めることができなかったんだねえ。

聴いてもらう事ができてよかった。
聴いてもらえて、気づいて、もっと気づいて、昇華していく。

そんな、小さな甘酸っぱくないヒミツ。



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