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【200/1096】あなたには力がある

200日目。肋骨を折ってもサーファーはサーフィンするらしいが、動けるし大丈夫かなーと思って少し遠出したら、昨日の夜中に痛くなって目がさめたので、やはり休む時は休むのが必要なのだと痛感する。
そして、とうとう200日目だ!けっこう大変なことではないだろうか?!桁が変わるのとはまた違うが、200日続いたことは本当に嬉しい。お祝いしよう◎ やったこと、できたことを受け取るのは大事だ!受け取って、次に進もう! 


今から15年以上前の話であるが、20~30代の頃、毎日、薬漬けであった。
最初は頓服で飲んでいただけであるが、徐々に常用するようになった。
その後、うつ病と、偏頭痛と、胃腸炎と、子宮内膜症の薬を処方され、
そのころには、毎日8~10種類の薬を飲んでいた。
薬を飲んで調子が悪くなり、それを医者に訴えるとそれを抑えるための新たな薬が出てくるので、薬の数がどんどん増えた。
薬の数が増えるのはイヤだと言うと、薬の種類をどんどん変更されて、人体実験されているような気持ちになったりした。
こんなに薬を飲まなくてはいられないのはおかしいのじゃないか?と思って、それを尋ねてみても、
「今、あなたは弱っているから、薬に助けてもらいましょう」
と言われ、そうだよな・・・と思っていた。

周囲の人に、そんな数の薬を飲んでいるのがばれると、
「えー・・・」「それはやばいよ」みたいな反応だった。
自分は引かれるほどヤバい人になっている・・・と
それからなるべく人にバレないように気をつけた。
外では元気を装って、家に帰るとぐったり動けないみたいな生活が続いた。

そして、そういう生活が続いていると、
だんだん、外に出られなくなっていった。
あんなに通い詰めていた舞台も観に行けなくなり、
休日はそれこそ死んだように寝ていた。
寝ていて起きられないので舞台も観に行けなくなったというのが正しい。
頭痛はどんどんひどくなっていったが、
MRI検査をしてもなんの原因も見つからず、
脳波も異常なしであった。
月経時は、出血量もさることながら、痛みがひどく、毎回立ち上がれないし、身体を伸ばして寝ていることもできないほどで、
胎児のかっこう(正座して膝を抱えておなかを圧迫する感じ)をして、
布団をかぶって過ごした。
漢方薬も処方してもらって飲んでいたし、冷えからくるものだと言って、温めるための温湿布やら、腹巻やら、靴下やらいろいろしていた。
それらの薬代や医療費は、相当高額になり、毎月の給料のほとんどがどんどん消えていった。
2年くらいそんな生活を続けていたら、ある日まったく動けなくなり、涙が止まらない状態になってしまい、当時の上司にしゃくりあげて電話したら
「その状態で会社に来るのは無理でしょう。休んでください。」
と言われて、休職することになった。

あなたは悪くない、あなたは逃げていい、あなたは休んでいい。

そんな風に言われて、一瞬は、ああもう休んでもいいのかとほっとした。
何も考えたくなかった。
半年くらい、1日の大半を寝て過ごした。
もはや生きているのか死んでいるのかわからないような日々。
でも、そんな状態は長くは続かず、しばらくして体力が回復してくると、やっぱりこうなったのは、自分が悪いし、逃げるところはどこにもないし、こんなに休んで居場所がなくなったらどうしたらいいのかと常に不安と恐怖と戦っていた。
休職は1年半にわたり、復職しても薬は手放せなかった。

私が薬をやめられたのは、頭痛がひどすぎて、どうにもならなくなり、有名な、予約がめちゃめちゃ取れない頭痛外来の先生に藁にもすがる思いで診てもらった後である。
その医師が「こんなに薬飲んでたら、自分をコントロールできないでしょ? 自分に自信がなくなっちゃうよね。」と言って、その当時飲んでいた薬を整理してくれた。
そして、飲む薬を3種類に絞った。その代わり、頭痛が起きた時に薬を飲むのをためらうな、そこは上限までバンバン飲め、と言われてびびったが、それも徐々に減るから、今の状態ならそれをして、自分でコントロールできるようになったほうがいいと説明された。
医師は「この病気は、頭がいい人がなるんですよ。やさしくて繊細な人がね。自分を責めるのが一番ダメだから。今は状態がよくないけど、必ず良くなるので、そしたら本来の力を発揮できますから」と言った。
初めて自分を認められたような気持ちになった。
そんな日がくるとは本当には思えなかったけど、そう言ってくれたことが嬉しかったのである。
その医師の言うとおりにやってみることにした。
そしたら、症状が徐々に落ち着いてきた。
頭痛の発生する頻度が下がり、落ち着いて仕事が出来る日も増えてきたのであった。頭痛がないというのはこんなに快適なのか!と本当に嬉しかった。

その後、完全に薬をやめられたのは、妊娠したおかげである。
精神科の医師に「どうしても子どもがほしいので薬をやめたい」と懇願した。
その医師はわりとそこに理解があって、「そうですね、(高齢だから)妊娠するほうが難しくなりますからね」と減薬してくれ、妊娠直後にすべての薬をやめた。
頭痛外来の医師は、妊娠しても飲める薬を処方してくれたが、「妊娠中は頭痛が出にくくなるから、たぶん大丈夫」と妊娠を喜んでくれた。

あとに森田ゆり先生の著書を読んで、これらの症状は、性虐待サバイバーに頻出する症状であることを知った。
そして、性暴力被害について学ぶうちに、こういうことは本当に同じように起きていることを知った。
中枢性過敏症候群(CSS)という新しいパラダイムの疾患概念で、一般的な検査では数値的な異常が検知されない一方、多種多様でかつ深刻な症状を示す症候群がある。
日本の医学界ではまだほとんど認知が進んでいないうえ、一般的な検査では異常が出ないので、精神的なものか詐病とされるなどの誤解にさらされてきたのだ。
線維筋痛症や慢性疲労症候群、多種類化学物質過敏症なども同じだという。
(それらの病気である方が、必ずしもサバイバーであるということではない。)
随意運動や感覚機能が不全になる症状で、顎狭窄症や視野狭窄、肛門筋のコントロールがうまくいかなくなるなどで日常生活に支障をきたす場合もあるという。
これらの症状は、トラウマ起因の中枢性感作による症状である。
(つまり、中枢性感作が生じると正常では痛みと感じないようなわずかな刺激に対して痛みを感じる状態になるということ。)
そして、その回復に身体からのアプローチは不可欠であると森田ゆり先生は言っていた。

しかし、当時はそのような知識もなく、そのようなことを知っている専門家にも出会えなかった。
さらに、私は39歳で子どもを産むまで、性虐待の記憶は完全に健忘していて、顕在意識に上ってきていなかったので、かなりの遠回りをした。

薬を飲まなくてはいられなくなった大元の起きた出来事について、私は悪くない。
ただし、私は悪くないが、私の回復には私が責任を持たなければいけない、ということを理解できなかった。
私は悪くないのだから、誰かが助けてくれなければおかしいと思っていて、どこか他人事、他力本願だった。
元通りの私に、そのことが起きる前の本来の私に戻してほしいと。
私が悪くないなら、なぜ私がやらなければいけないのか。
私は被害者なのに。
それは、もう強烈な憤りであり、目の前が真っ赤になって、脳天が割れるほどの怒りであった。
しかし、残念ながら、そのことが起きる前の私に戻ることはない。
そして、自分を癒し回復するのは、自分以外にはいないのだ。

「あなたにはその力がある」
自分を無価値でなんの力もない弱い存在だと思っていた私に、
繰り返し、そう伝えてくれた人たちがいる。
「あなたには力があるよ」と。
回復する力があるよ。
癒せる力があるよ。
赦せる力があるよ。

そんな力なんてない、回復なんてできない、ゆるせるわけがない、
と否定しても否定しても、
「あなたには力がある」と、
何度でも何度でも伝えてくる。
諦めない、見捨てない。
それが顕れるのは、特定の人物ではなく、
その時々に違っていたが、
伝えてくれていたのはそのことだった。

私を見捨てていたのは私で、私を見捨てなかったのも私である。

そして、専門家に出会えず、むしろ医療機関で二次被害に遭う人たちを少しでも減らしたい、同じ思いをする人がいなくなるように、とカウンセリングとセラピーを学んで提供しはじめた。
自分の身体の声を聴けるようになりたいと呼吸・整体を学び、ほんとうに身体からの心身の癒し、回復を実感している。

それから、5年。
私は、このことだけは手放さないようにしたい。
「あなたには力がある」
自分で自分を回復する力を持っていることを思い出してもらえるように。
自分の力を取り戻して、本来の自分で生きられるように。

どんな逆境からも、必ず人は回復できる。
あなたには力がある。

では、またね。




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