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キミは、かわいいね

○○は、かわいいね。
○○、世界で一番かわいい!
○○、大好き!
○○、大好きよ。いっぱい大好き。好きで、大好きなんだよー。かわいいよ。
○○、この好きな気持ちがどうしたらわかってもらえる?
○○、ぼくが好きなこと、しってる?
○○は、ぷにゅぷにゅしてて、かわいいんだよ。

これは、5歳の息子が私に言ってくれるコトバたちです。
(○○には、ママが入ります)
いつまで言ってくれるかなぁと思いながら、でも本当に可愛いな〜と嬉しく温かい気持ちで受け取っています。

けれど、私は幼少期に、このようなコトバを言われて、怖い思いをしたことがありました。
少し記憶が曖昧で、その時に怖かったのか、そのあとに怖くなったのかはよく憶えていないのだけれど、「かわいいね」と言われて怖い目に遭った、と言う記憶だけが、身体に刻み込まれた感じ。
その出来事を母に伝えた時に、「なかったこと」にしようとしました。
それは、たぶん、母も怖かったのだと思います。今思うと。
それは、私が隙をみせたからそのような目に遭った、これから、そうならないように十分注意しなくてはいけないし、そのことは誰にも言ってはいけない。
誰かに言って、お父さんが知ったら、ものすごく怒られる。
このことは黙っていよう。
そんな感じだったな、と朧げに憶えています。

そのあと、私は、「かわいくならないように」ということをどこかでずっと思っていたみたいでした。
「かわいい」と言われると、怖い目に遭う。
怖い目に遭わないように、かわいくなってはいけない。
だけど、「かわいい」に憧れる。
かわいい格好をしている女の子や、かわいいものを持っている友達。
「かわいい」と言われている人たちをすごく羨ましい気持ちで、見ていた。
だけど、私の10代を振り返ると、わざと「かわいくないように」していたとしか思えないのです。
顔の造作がどうこうと言うよりも、もっと、いろいろ工夫しておしゃれしたり、楽しんでもよかったと思うのに、私は10代の頃、いつも母のおさがりの服を着ていたし、いつもおばさんっぽくしていた。
(今考えると、なんて勿体無いことを!!!という思いも湧いてくる・・・・16歳の頃、30歳に間違えられて、なぜか喜んでいた記憶がある。)
なるべく若く見られないように。
なるべくかわいく見られないように。
それを、すごく意識して、そうしようとしていたと言うよりは、無意識にそちらを選択していて、そして、それを悲しく思っていたんでした。
「私は、かわいくないから愛されない」と言うように思い込んで。
そのことでさらに、自分を傷つけていきました。
「自分を大切にしてね」と言われても、大切にする方法がわからなかったなと思います。

だから、「かわいい」と言ってくれる人をすぐ好きになったり、かわいがられたがったりしたんだけど、実際に、そう言う人のそばにいると、怖くなって逃げ出してしまうと言う、かなり矛盾した、厄介なことが起きていました。
優しくされると、怖くなる。
だから、厳しく、乱暴にされた方が、愛されているのではないか?と言う錯覚がよく起きました。
自分のことを大切に扱ってくれない人と一緒にいる方が楽だ、と思い込んで、身動き取れないほどダメ出しをされながら、それを感謝していました。
他人がいう「かわいい」に合わせなければ、愛されない。だから必死にそれに合わせようとする。でも、かわいいと怖い。
自分にとって「かわいい」って何か?はわからなくなっていました。
このことで、私の人生は、混乱にまみれていたな、と思うのです。

娘が生まれた時、親の欲目もたぶんにあるけれど、あまりにかわいくて、こんなにかわいかったら、この子は怖い目に遭う。どうしよう、と思った。
誘拐されたり、性犯罪に遭ったり、かわいい子は、危険な目に遭ってしまう。
と言う恐れが立ち上がって、もう絶対絶対、それは阻止しなければならない。この子を守るにはどうしたらいいのか?と。
そのために、性教育をしている先生たちに会いに行って話を聞きました。
性暴力被害の支援をしている人たちや、支援者向けの講座を受けて、学んでいくと、「私のような混乱を起こすのは、当然のことだった」と言う理解ができました。
そして私は、「私自身の尊厳を取り戻す」「自分への信頼を回復する」と言うことに、ここ数年、本気で取り組んできて、今はだいぶ過去の傷に振り回されなくなってきています。
子どものことをどう守るのか?ということについても、もちろん、できる限りの対策はしているけれども、100%完璧に対策できることはないということを受け入れて、子ども自身を信頼すること、子どもが傷ついても回復できると信じることの方が大切なのだと思います。
そのためにできることは、普段のコミュニケーションを良好にしておくことくらい。
だから、「子どもの話を聴く」っていうことをいちばん大切にしている。
話を聴いてもらえなかった小さな私が、聴いてもらえたら、助けを求められると知っているから。
自分は誰かに助けを求めていい存在なのだ、と知っていてほしいと思います。
そして、それは自分の子だけじゃなくて、すべての子どもたちに知っていてほしい。
あなたは助けてもらう権利があるのです。
そのことを忘れないで。

もしも、あなたが助けを求めたいことがあったら、信頼できる大人の人に助けを求めて相談してみてください。
だけど、相談した大人がイマイチな対応をすることがあるかもしれない。
残念ながら今は、10人いたら7人は適切な対応ができない大人のいる世界です。
だけど、10人のうち、3人はあなたを助けられるかもしれない。
助けてくれる大人と出会ってください。
一緒に考えてくれる大人がきっといます。
だから諦めないで、相談してほしいなと思います。
私も信頼できる大人の一人であろうと思います。

私は、今、好きな服を着て、好きな髪型をして、好きなメイクをしています。
他と比べたら、いろいろ直したい〜!みたいな気持ちになることもあるけど、私は私の満足の方が大事だなと思っています。
自分がかわいいとか、素敵だなとか、きれい、と思うものを身につけたり、持ったりして、それを大切にする。
それが、自分を大切にするっていうことのひとつだなって思うのです。
あなたも、あなたの「かわいい」や「素敵」や「きれい」を大切にしてくださいね。
それは、人と違っていいのです。
みんなと同じかわいいじゃなくても。
自分の中でそれを大切にしておくことは、自分を大切にすることに繋がるよ。

息子が「かわいい」と言ってくれて、「えー、ママなんてかわいくないよー」と私が受け取らないと、彼は、全力でどんなにかわいいか!ということを教えてくれます(笑)。
息子だけじゃなくて、娘も一緒になって、競うように教えてくれる。
私が受け取るまで、彼らは、必死に投げてきてくれたんだなあ。
助けてくれてありがとう。

ここまで読んでくれて、ありがとう。


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