見出し画像

全体を見る方法(視覚支援)

前回の視覚支援では、彼が特殊な見えかたをしていて、こちらの伝えたいことがまったく伝わっていなかったということを書いた。

今回は真逆のことになるが、全体を見ていたこともあるというお話。

自閉症という発達障害があり、ルールを把握することが難しい彼は、ほとんどのルールを伴う遊びができなかった。

単純な鬼ごっこでも、追われることはできるが追うことはできない。鬼の交代が理解できないのだ。

鬼ごっこに付随するものがあっても、ただひたすらに逃げることしかできない。影踏み鬼やカンケリなど夢のまた夢だ。

そんな彼だが、なぜかゲームの中では鬼ごっこができるし、トムとジェリーは逃げる役が変わっても理解して見ている。

たぶん、画面で全体が見られることによって自分がどう行動すべきかがわかるのだと思う。
逆に言えば、自分が渦中にいる時には何をしたらいいのかわからない。

小学校の運動会でダンスに参加する時、体育の授業では校庭の隅にあるジャングルジムに登って、級友が演技をするのをただ見ているだけだった。

彼のポジションでは先生が彼の代わりに動いていて、それらをひたすら見ているだけで、ずっと参加しようとしなかった。1ヶ月以上もその状態が続いたので、先生方はほぼ諦めかけていた。

運動会前日の予行練習のときに、彼は初めてジャングルジムを降りた。彼が降りてきたので、これ幸いと先生と一緒に演技に参加することになった。

入場門で並んでいるときに、繋いでいた先生の手を振り払い、黙ってジャングルジムを指差したという。そこで見ていろと言わんばかりでしたと先生はその時の雰囲気を教えてくれた。

そして、誰に指示されることもなく、驚くべき正確さで動き、踊り、参加することができたそうだ。

これに一番驚いたのは同級生だった。ずっと見ているだけの彼が、ちゃんとできていることに驚き、「すごいね!」とたくさんの笑顔で褒めあげてくれたという。
同級生に褒められた、その笑顔の真ん中にいたということは、彼に大きな自信を与えた。

私たちは、運動会の当日にそれを見ただけだったが、先生たちは興奮してその時の様子を教えてくれた。

あぁ、ゲームをやってるときと同じだったんだなと思った。

まず、何をやってるのかわからないからとりあえず誰か(友達)を起点に見ていたのだと思う。

そのあと、その起点になった子が、毎日同じ行動を同じ場所で繰り返すことに気づき、自分の代わり入っている先生に気づき(または教えてもらって)、先生の動きを見るようになって、自分がどう動けばいいのかを理解した。

そして、全体を見て自分の動線も理解したのだと思われる。

彼が演技をしたのは、予行練習と当日の2回だけだったので、翌年には早くからビデオを取り、教室で見せるようにした。

教室で何度も繰り返しビデオを見ていた彼は、一週間ほどジャングルジムで見学したあと練習に参加することができた。その一週間は画面から実際の運動場への調整だったんだろうなぁと思う。

見ているだけの時と比べると、参加した年の方が運動会に対して意欲的だった。家でも踊りの練習をするのだが、楽しんで練習しているように思えた。

彼の視点は不安定だ。コントラストがハッキリしているものを見ているわけでもなく、全体を見ているのかというと、いつも見ているわけではない。どちらかと言えば、やはり部分を見ていることが多い。

ただ、その視線の先にはだいたい「好きなもの」または「好きな人」がある。意図的になにかを見せようとしたときに「好き」の把握ができていると見せやすい。

部分から全体に広げていくのは難しいが、2次元だと比較的つかみやすい。平面で理解して立体まで引き上げる感じで現実に合わせるようにして物事を見ていると思われる。

いまだに、その見えかたには驚くこともあるし、がっかりすることも多いけれど、こちらもだんだんコツをつかんできたので、最近では星座や月の満ち欠けも少しずつ理解できるようになってきた。

まだまだ見えているものは世界の一部でしかないが、いつかは雪山の美しさとか、山の彩りとか、大きな自然に感動できるようなものの見方ができるようになればいいなぁと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?