キムチラーメン
わたしの友人にY里という子がいる。その子はわたしよりはるかに年下のはずだが、なぜか気が合い、地元に戻ってどうでもいい話で盛り上がる時には絶対に欠かせないメンバーの一人である。彼女には乳児期に大病を患ったため、年に何回かは入院する必要がある娘がいるが、その時も
「ちょっと別荘に行ってくるで」
などと言って明るく出かけていく。友人たちも
「別荘でのんびりしてきてね」
と送り出すのが常である。
数年前、Y里の娘が少し期間が延びた別荘滞在から帰ってきたというのでみんなで集まることがあった。Y里はいつも別荘でものすごく笑える話を仕入れてきて、それをとても上手に話すので、この機会を逃すことはできない。今回は「キムチラーメン」の話だと言う。
Y里の娘の状態が安定し、あと少しで帰宅できる頃、彼女は突然「キムチラーメン」が食べたくなったらしい。もちろん別荘の売店には大して物がそろっていないし、そもそも「キムチラーメン」のカップ麺は当時はそれほど見かけなかった。
しかしどうしてもそれが食べたいY里は、同室の(4人部屋)患者に付き添っているおばさんに少し娘のそばを離れる旨を告げ、スーパーへ車を走らせ、そこで待望の「キムチラーメン」を手に入れ、戻ってきた。しかしそこでお湯を注いで「キムチラーメン」を食べるとなると絶対に臭い。部屋中にその臭いが充満するのを恐れて、Y里は、再びおばさんに
「ちょっとご飯食べてくるで」
と言伝し、談話室へと向かった。どうしても食べたかった「キムチラーメン」の蓋を開け、お湯を注いで、出来上がるのを待っていると、なにやら馬鹿でかい声が聞こえた来た。
それは30代の男性が携帯電話で話している声で、まあ、談話室では通話可能だが、何しろ声が大きいので内容が丸聞こえである。
「だもんでさー、朝起きた途端に、こぞうがワシの上に飛び乗ってきたわけよ」
どうやらこの男性には息子がいるらしい。
「そいで、朝だもんで一番いかんところにこぞうの体が直撃しただわ。」
そこまで聞くと、もうY里はラーメンどころではなくなったと言う。既に食べごろを迎えたキムチラーメンの臭いをまき散らしながら、彼女の耳はダンボのようになっていたらしい。(本人曰く)
「ゴキ、だか、グキ、だか、大きな音がしただわ。そうしたらど痛いじゃん!」
男性の声はますます大きくなるし、Y里の耳も同じくらいの速さでますます大きくなる...感じがしたと言う。(本人曰く)
ズルっとラーメンをすすっては、チラリと声の主を見ると、ぶかぶかのスウェットをさらに腰パンにしてはいている。
「まあ、骨が折れるはずないもんで、ほうっといたら、どえらい腫れてきただわ。だもんで、今、わし、病院におって、今から治療するだわ」
この話を聞いたとき、笑ってはいけないはずなのに、まずこの時点で涙が出るほど笑えてきた。話を聞きながらそれぞれが手にしているお菓子を思わず放り出しそうになるほど笑っている。
Y里は、一通りの状況を理解すると、伸び切ったラーメンを食べ、スープまで残さずすすって、娘の部屋に戻ったのだ。
「やっぱりキムチラーメンって美味しいじゃんね」
その先に何かがあったことを知っているわたしたちは、頷くこともなく
「その先を早く言いんよ!」
と口々にせかした。
「まあ、待っとりん。話には順番があるだで」
その後2時間くらいしてから、Y里は娘のパジャマなどを洗濯するために、廊下に出て洗濯室に向かったらしい。すると少し前に先ほど見かけたぶかぶかスウェットの男性が歩いていたという。どうやら治療を終えたらしい。
その彼は点滴をぶら下げた台車にもたれるようによろよろと、そしてものすごくゆっくり、さらに、非常に小刻みな足取りで、その上かなり内またで進んでいく。Y里が追い抜かしざまに彼の顔を見ると、先ほどの大声の主とは別人のように青ざめ、冷や汗をかき、うなだれていたらしい。
「ど痛かっただらあね」
Y里はものすごく楽しそうに言う。わたしたちも
「そりゃあど痛いら!知らんけどさあ。」
それぞれがいろいろなことを妄想し、彼の行く末を心配するかのような発言をしたり、適当なことを言っては大笑いする。
その時誰かが突然
「でさー、キムチラーメンってその話に何か関係あるのかん?」
と尋ねる。
「そんなもん知らんわ。キムチラーメンが食べたかっただけだで」
Y里はその質問を無視し、次の話題に入ろうとしていた。次は痔の手術をして、入院中に病院の屋上で傷を天日干しした話だった。
こういうどうでもいい話で盛り上がるのは高校生までと思っていたが、今でも十分盛り上がれる。そしていつも集まるメンバーの2人は下戸だし、Y里も娘の前では飲酒はしない。つまりほぼ素面でバカ話ができるのだ。こういう仲間は大事にしたいと常々思っている。
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