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森枝シェフが語る、コロナ後の世界

リモートワークが本格的に始まって、
zoomミーティングの予定がカレンダーを埋めるようになりました。
不思議なことに、そうなってからなぜか、
電話で人と話すことが増えたように思います。これまでは

絶対メール派

だったんですけどね。
わざわざ電話するくらいならいっそ会おうよという主義でしたが、
ずっと自宅のダイニングテーブルで仕事をしていると
不意にかかってくる電話がなんだかうれしくて。
自分は調布の街なかのマンションにいるのに、
パリのシェフが、渋谷のシェフが、新潟のライターが、有田の器作家が、
スマホの向こうで
今、彼らの目の前で起きている現状を語ってくれるのが不思議です。

新型コロナウィルスは、働き方とか家族のあり方とか、
人とのコミュニケーションの取り方とか、

変えようのなかったものを変える力の持ち主

のようです。悔しいけど。

そんな中、
渋谷の新生PARCOの中にある「Chompoo(チョンプー)」という
素敵なタイ料理レストランのシェフを務める
森枝幹(もりえだかん)さんが語った言葉が印象的でした。

4月8日からPARCOは無期限の全館休業に入ってしまい、
森枝さんは、しばらくは無職です。
が、この方は元々、どのような状況下でも常時複数の仕事を抱える

真性パラレルワーク料理人。

ご本人だって、いち料理人として「今後どうなるの、飲食業界?」という恐怖をお持ちでないわけはないと思うんですが、
同時に、別の視点からクールに

「たぶん淘汰されちゃうんだよね」

と見ているようです。私の想像ですが。
森枝さんは語ります。
「情報を集めれば集めるほど、アフターコロナの世界について語るのが怖くなります。最悪です、おそらく。非常事態宣言は5月6日までですが、飲食店の非常事態は、本当にそれで終わるのか。終わったとしてもこの数ヶ月を取り戻すのにどのくらいの時間が必要になるか、わかりません。2年ほどかかってしまうようなら、いっそ本当に休業しちゃう方が正解かもしれない。僕は料理人として生きてきましたが、道を変える時なのかも、とさえ思えます。だって、この先ずっと料理を続けるためには、苦手なゲームもやらされるようになるのが、アフターコロナの世界だと思うんです」

ハードな話ですが、「確かに」と感じることがたくさんあります。
今後、コロナが収束して再び日常を取り戻した時、果たして今までと同じ気持ちで食と向き合うことができるだろうか。
アフターコロナの世界に高級なガストロノミーは求められるのか。
いえ、それ以前に、大人数でテーブルを囲んで食を楽しむという行為自体が
成立しなくなる可能性だってあります

退化ではなく、より「進化した個食」が求められるかもしれません。
外食に特別な食を求めるのが難しくなるなら、
料理技術や流通の進歩によって家食が変わる可能性もあります。
主婦がシェフに、という冗談みたいなことが本当になるわけです。
飲食業界のあり方が今後どんどん変わるだろうというのは
逃れようのないリアルだと思います。

今、休業を余儀なくされたシェフたちが大勢います。
「料理で人を喜ばせる」ことが働く意義である人たちゆえに
こんな状況でも、本能でそれを求めてしまう。
店がどうなるかで頭はいっぱいでしょうに、
テイクアウトのお弁当作り、ボランティアのオンライン料理教室、
生産者の作る食材を無駄にしないようにSNSで訴えたり。
けれど、この状況を見据え
ご自身のアフターコロナについても、ぜひ考えてほしいと思います。
今後は、もしかしたら「料理の腕」が武器にならないかもしれない。
嫌でも、選択肢を広げる思考が必要なのではないでしょうか。

シアトルにあるファインダイニング「CANLIS」は、
コロナをきっかけに、「ファイン」であることをやめたそうです。

「今や、シアトルの街に必要なのはファインダイニングではない」と
ウェブサイトのトップページにはきっぱりと書かれており、
営業スタイルをガラリと変えたそうです。
ミールデリバリーや農業支援をスタートし、まったく異なる業態に。

ここまで鮮やかに方向変換をするのは、どれだけ難しいことでしょう。
食の世界で生きる人々やモノを世に伝えるのが、私の仕事です。
なので、私にとってもこれは命題。

「好きを仕事にする」という最高に幸せな生き方に、少しだけ

求められることを探り、それもとりあえずやってみる

という思考を持つこと。
この状況ですから、道を変えることは不自然でも失敗でもありません
物販の企画を考えるのが得意なシェフもいるでしょう。
文章力があったり、写真や絵が上手な人であれば
SNSやnoteを使い新たな事業を起こせるかもしれません。
料理人の視点で農業に取り組めば、新しい生産スタイルが生まれるかも。

前出の森枝幹さんは東北大震災があったあの日、
日本橋のホテルにあるレストランで、夜の営業準備をしていました。

「前衛的な料理を売りにする店で、僕は地震が起こったあの時間、地下3階から38階に上がるエレベーターに乗る直前でした。手には料理に使用する液体窒素を抱えて。もしエレベーターに乗ってて、何かのはずみで大爆発を起こしていたら……。そうならずに済んだのですが、その後はシフトがどんどん削られ、一気に収入が厳しくなり、『自分で仕事を作り出すポジションに立たないと」と決意したんです。あの日、僕の人生観は変わりました」

私たちは今、経験したことのない変化の最中にいます。
抜けて元の位置にたどり着こうともがくのではなく、
少しだけ流されてみて、そこにあるものにも目を向ける。

そんな覚悟があれば、少し楽になれるのかなと思い始めています。

#料理 #レストラン #COMEMO


フードトレンドのエディター・ディレクター。 「美味しいもの」の裏や周りにくっついているストーリーや“事情”を読み解き、お伝えしたいと思っています。