「力になりたい」の始め方〜小田原チャレンジ
ようやく、自粛期間がとりあえずの解除となりそうです。
まだまだ、収束までの道は長いとはいえ、ちょっとだけホッ。
ずっと会えなかった人たちの顔が見たい、
自分で注ぐのではなくソムリエに注いでもらうワインが飲みたい、
プロの料理人が作る料理を堪能したい。
そう、
レストランに行きたい!
のです。不謹慎と言われても、もう、堂々と言うぞ。
飲食の世界を眺めるのが生業(なりわい)の私にとって
この2ヶ月は、紗幕をかけたように味気のない日々でした。
しかし、この期間が無駄だったとは思いません。
植物学者の牧野富太郎はかつて「雑草という名の植物はありません」と言ったそうですが、
どんなに無駄に思える時間も、過ぎてみれば無為だっただけではなく、
何かしらの学びがあったと信じたいのです。
5月の学び&気づきといえば、
「力になりたい」を始めるのは簡単に見えて至難の技
ということでした。
神奈川県小田原市で、あるアクションを起こされた方々から学んだのです。
この投稿が発端でした。
「神奈川県立循環器呼吸器病センター」で働く医療関係者の方々に向けて、小田原界隈の飲食業に携わる有志がオリジナルの焼き菓子をたくさん届けたことに対し、感謝の投稿でした。このセンターは、県の「重点医療機関」に指定されており、中等レベルの新型コロナウイルス肺炎の患者を受け入れています。完全別動線を作り、真摯に病と向き合っているそうで、現場の疲弊ぶりは相当なものだと思います。
ちょうど、友人で老舗蒲鉾ブランド「鈴廣」の11代目を担う鈴木智博さんが、この件をご自身のアカウントでも発信しているのを見て、
「こんなことやってるんですね!」とメールしたのでした。
同時に、「どうやってこんなこと、実現できたんですか?」とも。ご自身のお店「鈴廣」は、小田原の観光名所でもあります。正直、今ってものすごく経営的に厳しい時でもあるのでは? そんな時にこのような試みって一体?……と、思わず聞かずにはいられなかったのです。
実行力と情熱の塊、鈴木さん。
すぐに、このプロジェクトを共にした小田原のレストラン「mecimo」のソムリエ、山本良憲さん(トップ写真右)にも声をかけ、速攻でzoomによる“2人インタビュー”を設定してくれました。
「mecimo」は、都内のフレンチの名店「NARISAWA」で修業した神奈川出身の山本良憲ソムリエと、同郷で、やはり数々の店で修業した葛窪拓真シェフ(トップ写真左)が、2018年10月にスタートさせたガストロノミー。小田原エリアの食材や地元の名産品を、技術とセンスで見事に調理して、訪れる人をびっくりさせたり感動させたりしてくれるお店です。余談ですが、私が個人的に作ってる「今後必ず行きたいローカルガストロノミー店リスト」があるんですが、そこにも入ってます。ますます早く行きたい! こういう料理(↓)なんですって。たまりません……♡
他人を助けてる場合……じゃないですよね?
最初にお二人に聞いたのが、これでした。
小田原。私もプライベートでよく行きます。
相模湾のあらゆる美味しいものが集まる小田原漁港では、月に一度、一般向けに「漁港市」を開催するのですが、「とれたてヒラメ600円」とか「ぴちぴちアジ10尾300円」とか魚Loverには最高に魅力的。近くには地元野菜の市場もあり、小田原に行けば美味しいものがどっさり手に入ります。
都内からも行きやすい反面、観光が資源というところもあって、
県知事が「箱根・小田原には、どうぞみなさま来ないで!」と鎮痛なお顔でおっしゃった後、一体どんなことになったかは想像に難くありません。
もう2ヶ月も休業中。鈴廣史上、初めてのことです
と鈴木さん。あぁ、やはり……。
「でも、売り上げ減少ももちろん悲しいんですが、もっと辛いのはお客様との接点を失ったこと。必然的に蒲鉾屋である自分たちに出来ることって何なんだろうと自問自答する日々でした」といいます。あ、そっちなんですね。
ダメージは大きいですが、気づいたことも大きかった
と言うのは、山本さん。
「うちは都内からのお客様も多く、この状況になってからの売り上げは半分以下。でも、これまではテーブルに料理をのせる瞬間から逆算してすべての作業を考えていたのが、お客様に提供する食のあり方には、他にも道があるかもと思うようになりました」
元々、東京・青山の「NARISAWA」で働いていた山本さんは、この店のオーナーシェフ、成澤由浩さんがよく口にしていた「料理人は料理を作るのではなく文化を作るのが仕事。料理を通じて世界にアプローチするのが、これからのレストランだ」という言葉を今も大切にしているといいます。
「フランスのレストランで働くシェフやソムリエの友人たちはアソシエーションを作り、社会に食で貢献する動きを始めていた。時間はたっぷりあるし、ニュースでは医療関係者があらぬ差別を受けているという由々しき事態を報道しており、このままジリジリと過ごすのであれば、いっそ何かアクションを起こしたいと考えたんです」(山本さん)
贈りたいものと贈られたいものがミスマッチ
鈴木さんや山本さんをはじめ、小田原エリアで飲食業に従事する仲間たちが集い、まずは近くの病院に「食事の差し入れをしたい」と申し出たところ、意外な返答がありました。
「僕たちはお弁当のようなスタイルで差し入れができればと思ったのですが、医療現場は今大変な状況で、揃って食事するなんてことはできないと。また、渡された弁当を管理保存するのも難しく、いただいてもどうしようもないんですごめんなさい、というお返事でした。なるほどなぁ、確かにそうだよなぁ、と納得でした」
逆に、「必要なものはなんでしょう?」と聞いたところ、「医療用器具。もしくは県を通じて還元されるので、ふるさと納税とか……」という返事だったそう。料理で人を喜ばせるのが得意でも、これはどうしようもありません。
ところが、「横浜のもっと大きい医療センターであれば、必要としてくれるかも」と案内があり、ようやく前述の「循環器呼吸器病センター」の経理担当者の女性と連絡がつながったのだそうです。電話でのやり取りを重ね、「スタッフ380人分の心を癒せる、ある程度の保存が効く食であればうれしいです」という意思確認を得て、チーム小田原のプロジェクトはスタートしました。
サポートって、思いの他お金もかかる
しかし、またしても難関が。当初の予定よりも規模が大きくなったため、手弁当で持ち出しするにはどうしても予算オーバーという事態に直面したのです。
「原材料費だけじゃなく、料理を詰める梱包費、料理を作る大型キッチン(mecimoの厨房では400人弱の料理は困難)、料理を届けるための保冷車など、すでにプロジェクトはスタートしているのにクリアできない問題が出てきてしまって。これには参りました」
考えに考えた挙句、「鈴廣」11代目、鈴木さんは、自社にサポートを掛け合ってみるという手段に出ます。
「営業自粛という厳しい状況下にいる弊社の社員たちに、この話をしてみました。正直、みんなが諸手を挙げて大賛成!……ということはなかったです。しかし、鈴廣は過去にも似たような経験があった。2011年の震災時には市内が断水したのですが、敷地内の蒲鉾作りに使う井戸水を提供しましたし、2019年の台風19号が来た時は避難所として会社を開放しました。蒲鉾を売っているだけでなく、小田原という街に対して自分たちの役割とはどういうものか、社員はやはり、理解しているんですよね」
いいぞ、鈴廣!
「近所の病院に、美味しいお弁当を差し入れしたい」という当初の計画は、「横浜の大病院の医療現場で働く380人を超える人々に、美味しい焼き菓子を届ける」というプロジェクトへとチェンジ。
しかし、クローズが続いていた「鈴廣」のレストランキッチンでは、ようやく人に喜んでもらえる料理を作れることに浮き立つ若い料理人たちの姿がありました。
5月12日、終日かけて仕込んだものは、「鈴廣」の蒲鉾を刻んで入れたおかずパン「蒲鉾ケークサレ」、mecimo自慢のガトーショコラ、小田原「スズアコーヒー」の挽き豆、茶商「如春園」のお茶。
全部で400食が用意され、翌日、普段は蒲鉾を運搬する保冷車で横浜に運ばれていきました。病院スタッフだけでなく、清掃スタッフや関係者の方々にも配られ、楽しく食されたということです。
未来につながる食ってなんだろう
実は、これを書いている私も4月、何人かのシェフたちと協同して医療現場へ料理を届けようとしていました。しかし、運搬手段を相談した先と条件が合わず、また医療現場のいくつかからは小田原と同様に「いきなり持ってこられても」という意見もあり、あっという間に断念(シェフたちはその後も活動中。私がドロップアウトしただけです)。
それだけに、彼らが何度も壁に当たりながらもやり遂げたというのは、すごいことだと思います。
今回の新型コロナウイルスが収束した後も、世界は元には戻りません。少なくとも私はそう思う。
人々は、今まで重視していなかったものの価値に気づき、
刹那的に勝つことよりも、未来につながるものの方がバリュアブルだと思い始めています。
社会貢献は、なんとなく意識高い系のすごい人たちがやることで……という考えも、終わりそうです。普通の人が普通にやるし、カッコいいレストランやブランドは、それをやることでもっと輝くようになる。
二人のインタビューを通して、ますます小田原ラブが高まっています。
解除されたら最初のドライブは、やっぱり小田原だなぁ。その日を心待ちにしています。ありがとう。
フードトレンドのエディター・ディレクター。 「美味しいもの」の裏や周りにくっついているストーリーや“事情”を読み解き、お伝えしたいと思っています。