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躁鬱と私と羽生選手

 2014年11月8日土曜日の晩、私は夫と遅い夕食を摂っていた。テーブルに並べた皿や小鉢の中身をつつきつつ夫の酌をしながら。台所の隅には見るともなしに点けたテレビが「フィギュアスケート グランプリシリーズ中国大会」の様子を流していた。私たちの注意のはほとんどは、スケートではなくて食事と会話に向けられていた。
 ——と、視界の斜め右、テレビの映像を無意識に私の眼が拾った。選手同士の衝突事故である。本番前の6分間練習で羽生選手と中国の閻涵選手がぶつかったのだ。二人とも氷上に倒れてしまった。
 私たちの食事は中断し、夫婦でテレビにくぎ付けになった。
 その後、試合は続行され、満身創痍の羽生選手は最後までプログラムを演じ切り、2位の結果を残したことは多くの人が記憶していることと思う。

 このテレビ実況を見たのがきっかけとなり、私の頭の中に異変が起きた。羽生結弦というフィギュアスケーターの存在を知ることで久しく忘れていた「充実感を伴った楽しさ」の感覚を取り戻したのだ。若く美しい青年が傷つきながらも事を成し遂げる姿に、干からびかかった48歳のおばさんは心を打たれたのだと思う。
 以後、羽生選手関連の新聞切り抜きのためスポーツ欄のチェックが毎朝の日課となり、テレビ・書籍・雑誌・ネットに彼の情報はないかと探す日々が始まった。

 それにしても、当時、あの晩以来私は気分が高揚しっぱなしだったので少し不安になってきた。
 月に一度診てもらっている精神科の主治医に、「羽生結弦のことを考えると妙に楽しいので躁状態の始まりではないか、大丈夫だろうか」と尋ねてみた。意外にも先生は、
 「楽しくていいじゃないですか。でも、いくら心を動かされているからと        いっても、羽生選手のマネはしないでね。体を壊しますから。」
・・・、と少し問題からズレた答えをされた。
 ——が、はじめの予感は的中した。診察から1か月後、「躁状態による不眠・多動」で私は入院する羽目になった。普段は気分が鬱気味で、それが辛いと感じる日常をおくってきた。が、やはり、あのグランプリシリーズ中国杯の夜以来、私の頭の中の何かが進行方向を変えて進みはじめたのだった。
 入院は、心を鎮静させるための療養だったはずだ。しかし、退院して生活が落ち着いても、羽生選手の情報にふれると元気が出るという、脳の反応だけは残った。

 あれから7年余りの時が過ぎた。この間、羽生結弦選手はオリンピックで2つ目の金メダルをとり、ジャンプでは4回転でもループ、ルッツを成功させ、転倒ながらもクワッドアクセルを認定されるなど、超人的な活躍を見せた。競技や記者会見の様子、報道などを通じて垣間見える羽生選手の人となりやスケート対する真摯な態度は、私たちの心にも勇気や元気を与えてくれる。蛇足ながらあれ以来、私は入院をせずに過ごせている。
 昨日、羽生選手が競技引退・プロ転向の決意表明記者会見をした。午後5時からのテレビ生中継で見ていたのだが、「(競技生活を終える)淋しさよりもこれから始まるスケーターとしての新しい自分をこれからもよろしく」という気持ちを前面に出しているところが、彼らしいなぁ、と遠くで見ている田舎のおばさんは思った。

 今朝、読売新聞一面の「羽生 競技引退」記事を切り抜きしようとハサミを取り出しかけたら、夫が不安な表情で「大丈夫だろうね?」と聞いてきた。「君が羽生の切り抜きを始めると、俺はちょっとこわい。切り抜きは躁状態のはじまり・・・」とのこと。
 うん、大丈夫。あれからずいぶん時間もたったしね、と答えておいた。
 


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