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「悪者は誰か」を一旦外してみる。

こんにちはー。まゆちんです。少し堅苦しいタイトルですが言語化したいので書いてみますね。

最近、「物事の本質をみていくってこと」が大事だと特に思います。

なぜなら、情報がとっても多く、多くの真実が発信され、存在する世の中だからです。良い言い方をすると「様々な価値観」が発信できる自由な時代になってきたともいえます。

世界において誰が悪者で、誰か善人なのか。
答えは一つではなく多様な説があるようです。

過去にハマっている海外ドラマで、ホームランドっていうんですけどね・・・。(有名ですね)CIAとテロリストの攻防を描いたものです。
それを見ていて思ったんですが


たった一つの事実がどうであれ、何かを「悪」と決めつけた瞬間から、大切な何かを見失う。と。


悪だと思っていたら善だった、善だと持っていたら悪だった。
で悪にもそれなりの善があった、善の中にもそれなりの悪もあった・・・。

と、悪を善にしたり、善を悪にしたり、一筋縄では語れない善悪が描かれています。

もう少し最近の作品で言うと、Netflixとかでは
ブレイキング・バッド
ベーターコールソウル
あたりもそういうドラマです。

大事なのは、

たった一つの事実がどうであれ、何かを「悪」と決めつけた瞬間から、大切な何かを見失う。

ってことなんですよね。これは今の私達に置き換えても気づきが在るんじゃないかなと。

じゃあ「善」ってなんなの?って話になってきます。
「悪」ってなんなの?って話にもなってきます。

例えば、ある国の軍隊が大量の人の命を奪ったとしましょう。
でも、その動機は大事な人達を守るためでした。
そして、攻撃を受けた国も大事な人達を守るために報復として、攻撃し返しました、其の結果、沢山の人がなくなりました。



誰が悪で、誰が善なのでしょう。
首謀者でしょうか?でも、其の首謀者が国民が選んだ代表でした。
さあ、誰が悪で誰が善なのか。




誰を罰して、誰を排除すれば平和を取り戻せるのか?


物事の本質はどこに在るのでしょうか。


悪者を排除しないと、私達の手に自由と平和は取り戻せない・・・。

もちろんそういう場合もあるでしょう。
でも、それで全てが解決するでしょうか?

物事の本質はどこに在るのでしょうか。


私の中にも答えがあるわけではないのですが、


一つわかっていること。それは私達は「悪」と「善」を分けたい生き物であり、そこから逃れ難い生き物だということ。

なぜなら「悪」「善」という振り分けによって、私達は人との繋がりを感じる生き物だからです。結束を固めたい。吸引力も欲しい。
でも、そこからはあまり発展的なものが生まれない、ってことです。

もちろん、善悪をしっかり分けて行動することも大事。

もしかして、善悪が違った者同士が手を取り合うなんてことがあってもいいのかもですね。


さて、話は変わりますが、星の世界が教えてくれるこれからの時代は、良い意味でも悪い意味でも「一旦更地」に戻ります。


全ての善悪の枠が一旦外される。枠が外れていくことがたくさんおこるかもしれません。
でも、そのプロセスを見て「悪が滅びる時代」と表現するのは違う気がしております。


「善悪のルールだけで、語れない世の中になる」ってことです。
そのプロセスにおいて「悪が露見してくる」ってのはあるかもしれないけどね。

じゃあ、つまるところ何が大事になってくるかというと、自分にとっての真実ではないかな、と思います。


真実は世の中にたくさんある。
事実も確かめようがないものもたくさんあります。

だから、自分の見る世界は自分が責任を持って作るしかないです。



借り物の真実ではなく、自分の手でカスタマイズすることが必要になってくるんじゃないかと思うのです。


「悪魔」は、私達が作り出したものですからね。(ボソッ)


例えば、私が、

「みんなちがって、みんないい」金子みすゞ
の世界を具体的に学んだのは、占星術からでした。



ただし、

占星術=たった一つの真実を教えてくれるものだから、ではなく、

占星術というフォーマットで語られる世界が、「みんなちがって、みんないい」という世界だからです。


だからそういう時代が来ればいいなあって思っています。

ちょっと言語化したかったので書いてみました。

お読みくださいましてありがとうございます!


2020-05-22 16:00:43 投稿より


まゆちん


かげした真由子(まゆちん)情報はこちら>>>

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